古宮昇先生講演会
京都コムニタスの「コムニタス」はコムニタスの名称についてというコラムでも触れましたが、仏教から引いています。また私の本来の専門分野はいわゆる原始仏教の戒律で、パーリ語という言語から、当時の法体系を読み解くものです。このパーリ語は今重大な局面をむかえているミャンマーの資料が一級のものとされ、私が約20年講師を務めたパーリ語学習会でも「ビルマ第六結集版」という資料を見ることは多々ありました。ミャンマーは今もなお仏教国で、私も複数の長老(必ずしも超おじいさんという意味ではありません)方を知っています。コロナ禍でそのあたりもストップしていますが、以前は一人の長老さんと年一回くらいお会いしていました。
本来ミャンマーはとてもおおらかな人柄の多い国です。昔、大谷大学に留学してこられていた方も、私は名前を聞くまで日本人だと思っていたのですが、そのくらい日本語が達者で、関西弁で普通にギャグを言っていたので、ミャーさん(通称)という名前を聞いた時もギャグだと思ったくらいです。日本に来て長いのかと聞くと、当時3年くらい、ということで、また驚きました、とてもフレンドリーな人で、日本にも日本語にも日本の仏教学にも大いにコミットし、現地の人なのに、日本語のパーリ語学習法でパーリを勉強したり、ミャンマーの人はなんとおおらかなことかと感動したものです。同じことを私がミャンマーに行ってできるかと言われると、到底無理だと思います。
そのミャーさんが、軍事政権のことをとても心配していました。当時私は不勉強でビルマがミャンマーにかわったいきさつさえ正確に知らなかったくらいです。実際はビルマもミャンマーも意味は同じで、前者はジャパンで、後者はニッポンくらいの違いです。彼らはおおらかですので、西洋人がつけたビルマでも別に気にしなかったのですが、軍事政権以降、それは許せんということでミャンマーに変わりました。まぁ、それもどっちでもいいという雰囲気でしたが。
このおおらかな国民性の中にも、実は闇はたくさんあります。民族間対立は、私たちが想像する以上に根深く、仏教国とは思えぬ差別心が牙をむくことも、実は少なからずあります。それが現実と言ってしまえばそこまでですが、今、世界はどの国も自国中心という名のもとに、腕力なき弱者を差別の波にのみ込ませてしまい、それによって強者の溜飲を下げるという「分断手法」がどこでも当然のようになっています。とりわけ大国のその手法は、大国に寄りかかるように、もっていかれてしまった小国にも浸透しつつあり、一部の強者と思いたい連中に、虐げられる人々が発生するという現象が生じています。そうなると、「自分も腕力」となり、わかりやすい腕力が「軍」であることが多く、経済的不安定も手伝って、偏った思考の若者がそこに大挙し始める。徐々に抑制がきかなくなった上層部が暴走する・・
元々はミャンマーの軍人の中にも平和主義者はたくさんいます。長老の足の甲に自分の額をつけて礼を示す軍の上層部は、かつてはたくさんいたのです。今、どうなっているのかは正確に知る由もないのですが、心ある国民と軍関係者が抑制してくれることを願ってやみません。ミャンマーは本来は本当にいい国なのです。
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