メディアの顔
毎年、同じことを書いていますが、1月17日は、阪神大震災があった日です。当時のことは、26年前のこととは思えないくらい鮮明に記憶に刻まれています。母親と当時のことを10年ぶりくらいに話したのですが、お互い多少記憶を改ざんしているような気はしますが、概ね、当時の苦労に相違点はありませんでした。私は幸い、怪我もなく、周囲に死者もなく、電気、ガス、水道の復旧に時間がかかったくらいで、自宅も壊れることはありませんでした。しかし、神戸は、大変なことになっており、最初、神戸、元町、三宮を見た時は言葉を失いました。
阪神大震災は、災害に対する人々の行動規範が定まったきっかけとも言えます。都市計画も大幅に変更になりましたし、様々な防災ガイドラインができました。一方で、私もたくさん見ましたが人間のむき出しの本性、攻撃性などもあらわになりました。
それでも徐々に復興していき、今では、地震は歴史のこととして記憶されています。不幸なことに、災害は、阪神大震災で終わるのではなく、その後も日本のあちらこちらで震災があり、すべてを記憶できていない状態になっています。2011年の東日本大震災のインパクトが強く、震災、津波、火事と地震はとんでもない被害をもたらします。
一方で、これはあくまで私の記憶であって、人間の歴史という目で見ると、私の生きてきた年数など、歴史の1ページにも満たない年数です。この国の国土は、台風は来るわ、地震は来るわ、疫病は来るわ、災害との格闘の歴史です。これらは基本的に人知の及ばざるものですので、祈るしか方法がなく、仏教は1300年以上、この国の国民のために祈り続けて今に至ります。現代社会では祈るだけではなく自分のできることをしようとする人は増えていますし、震災の時は、多くの場合、一致団結してこの苦難を乗り越えようとする姿勢はあったと思います。その場合、政治禍がいかに無能であろうと、人々の出す知恵が、苦境を乗り越えさせてきたのだと思います。
翻って、コロナ禍はとりもなおさず、疫病ですが、少なくとも今のところ、人知が及んでいません。世界的に見ると、感染死者は200万人を超えたという情報もあります。いまだにこれを弱毒だとか言う人がいますが、これだけの死者が出ても、人知が及んでいないと、情報の理解にばらつきがあって、行動も統一されなくなります。
このコロナ禍は、未曾有と言っても差し支えありません。しかし、地震と違って五感に訴えかけるものが少ない分、危機が目の前にあっても、どうも他人事のようになりがちです。私も東日本大震災の時は、「心を痛めた」つもりではいましたが、阪神大震災と比べてどうか、などと考え、結局は他人事だったと、当時から思っていました。自分なりにできることはしたつもりですが、我が事として捉えられていたとは、やはり言えません。しかし、コロナ禍は、決して他人事ではありません。死者数など数字だけで見てしまうと、既存メディアというこの国の最大の害悪が垂れ流す日々の「新記録」にばかり目が行ってしまいますが、震災の時のように一つの方向性に向かった行動をすることがとても困難な状況にあります。政治禍の無能さは大きな要因ですが、それだけではなく、そもそもこのコロナウイルスが、人知を超えていることを、私たちが認めておらず、今もなお軽く見ているか、あるいは過剰に恐れるか、思考が極端になっており、いつ終わるともわからないこともあり、目標が明確にたたないことも、要因の一つと言えます。感覚が麻痺して、人の死を数字だけで捉えることに違和感がなくなってしまう前に、具体的な目標を定めて、それに皆で向かっていけると、震災の時のように、徐々に復興していけるのだと思います。とても困難な状況下ですが、私自身も震災を受けた者の一人として教訓を生かせるようにしたいと思っています。
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