不可思議を考えてみる1
「鬼滅の刃」ブーム続く 利他的行為の本質という記事を見ました。作者の方は、かつて私と同業で、インドや仏教の研究会に参加しておられたような記憶があるのですが、今は政治学の先生をしておられるそうです。
鬼滅の刃というマンガが映画化して空前の大ブームになっているそうで、売り上げが日本の史上最高額に達したそうです。金額だけで映画の価値をはかれないものの多くの人の心に響くものがあったのは確かで、たくさんの批評が出ています。その中でとても共感させられたのがこの記事です。実は私もこの映画を見たのですが、映像もストーリーもその他もろもろとても良くできていると思いました。もともとマンガが先にあって、もう連載も終了し、単行本も全巻そろっています。最終回は作者のこのマンガに対する強い思い入れと同時に、絶対に終わらせて、引き延ばしをしないという強い意志を感じました。それが名作になった一つの所以かもしれません。売れているマンガほど、雑誌としては、連載を伸ばしたくなりますから、晩節を汚してしまうことはよくあるのですが、この鬼滅の刃については、あまりにも潔く終了したという印象です。
この記事で指摘されている
「鬼は現代の人間そのものである。人は勝ち組になろうとして、平気で他人を蹴落とす。自分の利益を追求する利己的存在になっている。現代は、鬼が多数派を占める時代である。」
これはとても納得できました。このマンガは、マンガ故とも言えますが、わかりやすい対立構造があって、鬼 VS 鬼狩りです。鬼は元人間で、弱さや醜さを持っており(だいたい感情面)、そこを始祖の鬼につけ込まれて鬼にされ、罪なき人間を殺し、食べるという、少々残酷なシーンもあります。そこを子どもに見せるか否かの議論には与しませんが、倫理として最も悪いことを詰め込んだ存在が鬼として描かれています。それが現代の人間そのものだと言うわけです。ここで言う鬼のようなことを、平気でできてしまえる現代人こそ、むしろ古来言われている鬼であり、この点に関しては古典から変わっていないのだろうと私も思います。
一方で鬼狩りは、やや超人的な能力を持っている人々ですが、人間として描かれ、とりわけ主人公は「いい人」の見本のように描かれているわけですが、やはりここで指摘されている利他の精神については、これもとても納得がいきました。利他とは仏教の言葉で、菩薩の精神でもあります。私たちは主人公のような「いい人」に共感する一方で、主人公でさえも最終回直前で一度鬼になりますが、私たちも鬼にいつなってもおかしくない、そんなギリギリの時代を生きる存在であろうというメッセージ性がありました。
主人公は始祖の鬼の「永遠」を呼びかけるささやき、仏教でいう「悪魔=マーラ」のささやきに見えましたが、それを見事にはねのけて、文字通り内面に宿り混んだ鬼を撃破したところでマンガの本線は終わります。仏教ならここでブッダになるのですが、ブッダは自分の体験を他人に伝えようと決意します。当時の出家者は、「他人のことなど知ったこっちゃない」というのが基本で、自分の道を追求する人でした。いつから「他人のことを考える人」が尊ばれるようになったのかは、私は正確な知識は持っていないのですが、少なくとも仏教は、紀元前5世紀の発足当初から、そういった発想は持っていたようです。これが紀元前後ごろ生まれた大乗仏教経典に登場する菩薩という存在に託されるようになり、そもそも菩薩は他者を利することを想定する存在という設定がなされていきます。私たちの世界のことをシャバ世界と言いますが、そこで悟りを得た聖者は、この世界に生まれ変わってこなくなります。ブッダにせよ、ブッダに導かれて悟った阿羅漢にせよ、「悟った人はいなくなる」という制度設計に、明らかなミスがあったと思うのですが、これを埋める存在が菩薩でした。菩薩は「悟れるだけの力があるけれど、人々を導くためにあえて悟らないため、この世界からでていかず、他者を利する存在」になります。最初に考えた人は天才だと思いますが、この菩薩が大いに人々の心をつかみ、菩薩が一人歩きしていくようになります。多くの人が知る観音や文殊などは、独立した形で描かれるようになり、それが本尊の寺もたくさんあります。その根っこに宿るものは利他の精神であり、実は、この国でも6世紀以来人々に受け継がれてきた精神でもあるのです。
このコロナ禍にあって、鬼になるギリギリかもしれませんが、一方で菩薩のような存在に心打たれるのも私たちであることは重要なことです。
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