メディアの顔
前政権がやっと終わり、新しい総理大臣になり、正直なところ大いに期待していました。前政権の官房長官で無茶苦茶な答弁を繰り返した人物ではあるものの、あの異常極まりない政権の官房長官である以上、その立場ではやむを得ないこともあっただろうと思っていました。だから、今度こそまともな人が総理大臣になってくれたらいいなと願っていました。前総理大臣とは違って、政策を持っていましたし、真面目に政治だけをしてくれればいなと願っていました。しかし、結局は同類のようです。前政権の特徴であり、大罪は、分断の名手によって、政治が何かを言うことで、分断をわざわざ作られてしまうことです。「毎日踏み絵」です。社会はとてもわかりやすいように見えるようになってしまい、幻想的単純化が押し進められてしまいます。
今回、その犠牲になったのは日本学術会議です。本当に、政治が学問に手を突っ込むのは心の底からやめてほしいと願います。よく「聖域」という言葉を使う人がいますが、政治が手を突っ込めるか否かで聖域が決まるわけではありません。むしろ政治が聖域化するように、国を分断しているわけです。日本学術会議は、確かに漫画でも揶揄されるくらい(特に医局系の漫画)、学者権力の象徴ではあります。しかし、一方で、第二次世界大戦前におこった、かの「滝川事件」をきっかけとして、学問の自由が保障されるようになったことは周知のことです。その砦でもあります。つまり、学問の自由とは政治からの自由であるわけです。政治があらゆる学問に介入してはならないということです。こういうと、学術を理解できない無教養な政治家で、「軍事の研究の自由を学術会議が侵している」などと言う輩がでるはずです(まだ見ていませんがもう出ていますかね?)。これは学問の側が決めることであって、政治が介入しないのであるならば、軍事の研究を否定することは、何の問題もないのです。
また、総理大臣が「任命」するのだから「拒否」もできるという人がいます(これはもういるようです)が、任命をする人に拒否権はありません。以前、文部科学大臣が、大学認可を拒否したことがありましたが、結局それは大臣個人の見解ということで否定されることになります。つまるところ、大臣に拒否権はありません。アメリカ大統領もそうですが、拒否権は強大な力ですから、使う側はかなり慎重になる必要があるのです。
また総理大臣とて、天皇陛下から任命を受けているわけですが、そのあたりのことをどう考えているのか、理解できないわけではないでしょう。
ということで、本件はわざとやっているわけです。学者側は「理由」を求めるそうですが、確たる理由などないでしょう。要するに大騒ぎになることで、学者側あるいは学術会議側にも分断がおきることを期待しているわけです。別に、総理大臣からすると、学術会議などどうでもいい団体なのでしょう。国民の中にはかなりの確率で総理大臣を喝采する人が出るでしょう。学術会議はうさんくさい団体だと吹聴する連中もたくさんでるでしょう。それで十分なのです。いじめる側に同調者が寄りつく「まさにいじめられる側にも理由がある」という屁理屈です。具体的にどんな理由があるかを言わず、手だけを出すのです。なんとタチの悪いいじめだろうかと辟易します。
前総理大臣が、中国や韓国を執拗に攻撃をして、アメリカやロシアには籾手になってきたわけですが、米ロのことなどどうでもよく、中国、韓国をたたくことで喝采する人が数十%いればそれで十分なのです。それと同じやり口です。強い者には籾手、弱い(ように見える)者にはいじめ。こんな人間になってはいけないと、子どもの頃に習ったはずですが・・・
確たる理由などありませんが、その程度のことで、滝川事件の時のように、京大法学部教官は全員辞表を提出するなどということがあれば、むしろ総理大臣は喜ぶでしょう。
本当に嫌な世の中です。コロナ禍に乗じて、分断できるポイントを見つけては、余計な手をつっっこんで、説明はしない。根拠はない。コメントしない。撤回もしない。火のないところに煙をたてる。よほどこの国に争いごとを作りたいようです。こんなきな臭い世の中を作る政権に恐怖以外に感じるものはありません。
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