大学院に進む意義
「本が読めない人」を育てる日本2022年度から始まる衝撃の国語教育
という記事を見ました。
今更ですが、大学院受験にはほとんどの場合、研究計画が必要になります。研究をしようと思えば、かなりの量の文献を読まなければなりません。本に関する知識を増やすことが、第一歩目と言っても過言ではありません。人文学系が「役に立たない」と言われて(誰が言っているのか定かではないのですが)久しいような気がしますが、言うまでもなく人文学は「人が生きてきた証」であり、「人が生きてきた道筋」であり、「人が生きてきた過程での失敗と反省」でもあり、「人が生きていくために道を間違えないための道標」でもあります。役に立たないと思う人は想像力が欠如しているか、単に勉強不足か、いずれかではないかと思います。引き合いに出して申し訳ありませんが、先のイソジン騒動でもそうですが、大阪府知事にちょっと想像力があれば、「研究の積み重ね」という言葉の意味を理解できたでしょう。文章を読む能力というのは、一様ではなく、もちろん、法律文も読めなければいけません。私は仏教の戒律という法律集をよく見てきましたが、本当によくできています。おそらくは2500年前に原型があったのでしょうが、そんなに前からこんなに精緻な法体系ができるのかと驚かれます。でも、それは、法律文だけが読めても意味がありませんし、面白くありません。法律集というのは、ある意味人間の失敗談でもあるのです。「こんなことはしてはダメですよ」と規定しようと思うということは、必ずそれをした人がいたことを意味します。した人がいたなら、された人もいます。そしてそれを見た第三者以上の人がいますし、さらに伝言ゲームで伝わった人もいます。法律は皆が極力誤解をしないように体系だてないといけませんし、理解が何通りもできるような言い方も不適切です。でもだからと言ってあまり杓子定規にしてしまうと、余計おかしくなりますから、ある程度余力をもった言い方になります。「○○以下の罰金」などはその一つと言えます。「以上」とするとキリがなくなりますし、以下とすることで、罰を与える側も選択肢が減りますから与えやすくなりますし、無茶苦茶なことができなくなります。法律を読むだけでも、それだけ多くの人々の思いや考えや歴史や実績など様々なものが詰まっています。
この国の総理大臣一味と同じ種族の政治家のような人が、国民を嫌っていて、国民をおかしな方向に導きたいのはよくわかっていますが、そろそろ我々のように名もない人間が声を出さないと、どこに向かうのか想像もつかなくなります。研究者を増やすために課程博士を乱発したはずなのに、下支えの教育で足を引っ張るという矛盾は、大学の授業を半期15回にしたのに、月曜日を連休にした矛盾と同じような構造で、失敗政策なのですが、誰も責任をとらず、GOTOなんとかと同様、「もう始まってしまった」と言い、後戻りができなくなったと押し切り、そして明日終戦の日ですが、取り返しがきかない方向に国民を導いてしまうのです。
是非とも心ある為政者がいるならば(絶望的ですが)、「後戻りできる勇気」を持って欲しいものです。
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