役に立つ分野?
今の時期、京都コムニタスでは、研究計画書や志望理由書などの提出文書作成で、受験生の皆さんは連日深夜まで頑張っています。提出期限ギリギリで中央郵便局に消印をもらうこともしばしばです。しかし、それでやっとスタートラインに立ったということですので、むしろ気を引き締めましょう。
この時期よく聞かれるのは、
「文章の書き方がわかりません」
という質問です。私はこういった時には
「極力難しい言葉を使わない、わかりやすい、一文は短い、単文、複文は使わない、文節を間違えない」
といったキーワードを使いながら話すのですが、やはり国語文法が身についていない人が多いという印章を受けます。昔は必修の授業で国語文法の授業もしていたのですが、最近は、それほど必要もないかと思って、ほとんど触れていません。看護学校の受験では国語文法はそれなりに問われますが、大学院受験であまり詳しく求められることはありません。だからといって、一覧表のようなものを渡しても、ほとんど意味をなすような気がしません。それだけ日本語の文法は難しいのです。国語文法は現代文は中学で習い、古文は高校で習います。私は、これでは間違いなく足りないと思います。特に現代文の文法は、一生使うわけですので、機会あるごとに学ぶ必要がありますが、意外と拒否反応が強く出ます。大人対象に教えていると、中学時代のことなんて記憶のある人はほとんどいません。だから中学の時に習った文法など、
「嫌いだった」「わけがわからなかった」
くらいの印象しかなく、以来取り組んだことなどないという人が大半なのです。確かに大学入試で問われることなどほとんどありませんので、大半の人が「不必要」と考えているようです。しかし、日本語で文書を出すように指示を受けて、日本語の文法に無頓着であって良いはずはありません。だから例えば「文章」と「文」では定義が違うとか、「文節間相互関係」の見分け方とか、「これ」と「この」では品詞が違うとか、そもそも日本語で品詞が何種類あるかとか本来は、極めて基本的なことなのに、これだけで高度なことを言われているように聞こえてしまいます。
でも、冷静に考えてみると、結構難しいことだと思います。「品詞」っ何ですか?と聞かれるとちょっと切なくなりますが、例えば「形容動詞」なんて品詞を海外の人にうまく説明するなど至難だと思いますし、日常会話で「あ、これは下一段活用だから」なんてフレーズは聞いたことありません。一度、学会で、ある院生の発表者の日本語の使い方をこのように指摘した先生がおられましたが、聴衆は苦笑いしていました。それくらい難しいことなのだと思います。
小説や随筆などの文章の書き方を語る術を、私は持っていませんが、小論文、研究計画など論理的な文章の書き方は、ある程度誰が書いても同じです。人によって文体が大きく変わるということはあまりありません。論文は筋道が重要であって、前フリや仕込みはあまり必要ありません。伏線回収も不要だと思いますし、そもそも伏線をはること自体いかがなものかと思います。
それ以前に考えるべきことは、わかりやすい日本語を書くことです。あまり読み手に考えさせずに、読み返しもさせずに、一息で読めばすべて理解できるという文章を書くのが基本です。読み手にわかりやすい文章とは、という前に、そもそも文章とはどんなものでしょう。文章とは、複数の文が集まって、意味をなすものです。文章を書くのが上手だといえる人は、自分がいくつ文章を書いたかを理解しており、構成ごとにだいたい同じ量の文章数に組み立てる能力を持っている人が多いと言えます。テキトーに書いているわけではないのです。例えば、100メートル走の選手が、100メートルを何歩で走るかが決まっている、水泳の選手もストローク数が決まっているのと同様です。
ではその文章を作る「文」とは何でしょうか?「文」がわかっていなければ文章は書けないのです。文とは句点(。です)までで、意味があり、文節間相互関係が成立してしているものです。
(1)主語・述語の関係
(2)修飾・被修飾の関係
(3)接続・被接続の関係
(4)並立(対等)の関係
(5)補助・被補助の関係
(6)独立の関係(独立語)
これは中学教材に書いてある文節間相互関係6種です。
これを理解するには、今度は「文節」を知っておかねばなりません。では文節とは何でしょうか?文節というのは、例えば、「あの人は私の兄です。」という文があったとします。この場合、
あの/人は/私の/兄です/
と分けられます。一般に終助詞の「ね」を挟めると文節が見分けられると言いますが、意外にわかりにくいと思います。さらにこの文節を「単語」にわけることができます。この単語が日本語の最小単位です。
あの/人/は/私/の/兄/です/
となります。単語は品詞にわけられます。日本語の品詞は十種類です。英語でもそうですが、品詞という
言葉を聞くだけで背中がかゆくなるという人もいますが、毛嫌いせずに仲良くなると、文法を勉強するのが楽しくなります。(たぶん)
品詞とは別の方法で単語を二分類すると「自立語」と「付属語」になります。この場合、自立語は、
あの 人 私 兄
です。その他は付属語です。自立語はその単語だけで意味がわかるものです。連体詞「あの」は自立語か付属語かは微妙かもしれません。例えば「あらゆる」「大きな」などの連体詞なら意味が通じると思いますので、自立語とみて良いでしょう。英語ならthisで「これ」「この」のどちらでも使いますが、日本語では、これ=代名詞、この=連体詞と品詞が異なります。このあたりがややこしいところで、どちらでも良いという人もいますが、このあたりをおろそかにすると、あとからボディブローのように効いてきますので、気にしておいた方が良いのです。
この単語を駆使して文を作る際の最小単位が文節で文を作るために短く区切った一区切りの言葉ということになります。この文節を関係させて文を作っていくことになります。文節間相互関係は六種全部必要かといわれると正直疑問があります。「できるだけ全部」覚えましょうといった感じです。しかし主語・述語の関係は、誰でもわかることですが、間違いなく外してはなりません。あと(2)の「修飾・被修飾の関係」も重要です。よく英語の和訳をするときに、多くの人は「どこにかけたらいいかわからない」という表現を使いますが、つまりこれはこの修飾・被修飾を探しているわけです。名詞にかければ英語では形容詞的用法ですが、日本語では名詞は体言と言いますので連体修飾語になります。動詞など用言にかけられれば連用修飾語ということになります。
しかし、現実的に文章を書くときにこれは連体だの連用だのと考えることはそうはないかと思いますので、気にしすぎるとかえって書けなくなるかもしれません。とりわけ重要なのは先述の主語・述語の関係です。いつも文を書くときには、これを意識しておくことがコツです。ここでもう一つ意識しておくべきことが、文の種類です。三種類あり、単文、複文、重文といいます。これはむしろ重要です。文を書くときは、徹底的にシンプルに単文を使う意識を持つことです。単文とは、一文に主述の関係が一つだけあるものです。要するに「○○は△△である。」という基本的な文です。あわせて複文とは主述が二つ以上あって、それぞれが対等ではない文を指します。この対等が微妙な言い回しですが、わかりやすいのは
「彼は大けがをしたので、救急車が来た。」
彼が大けがをしたのと、救急車が来たのは対等ではありませんのでこれは複文です。
「東京に行ってきた○○さんは、人気がない」
などという、英語の関係代名詞のある文を和訳したような文も複文です。重文は、主述が二つ以上あって、それぞれが対等ということになります。
「私は学者で、兄は医者です。」
これは私は、と兄は、が主語で、対等です。学者で、と医者ですが述語で、両方とも対等です。こういった文は重文といいます。文を書く中で重文は特に問題はないですし、誰も意識していないと思います。しかし、複文は少しやっかいです。複文は上のような定義ですので範囲が広いので、対等でなければ何でも複文と言えばそうなります。頭の中で文を考えると逐一整理されて言葉として出てくるわけではありませんので、混乱しています。だから思いついたまま書くと、「何を書いているのかわからない」という現象が起きやすくなります。これらを意識しつつ、単文を作るというのが結論です。単文は、読み手にとって最もわかりやすくかつ人工的に整理された文ですので、極力複文にならないことを意識して、単文を使うことを意識することが良い文章を作る第一歩と言えます。
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