メディアの顔
自粛ポリスなるものが最近あちらこちらに出ているそうで、嫌な世の中の象徴のような気分になります。この記事は「監視、嫌がらせ、吊し上げ――自分の「正義」が暴走する「自粛ポリス」の心理」という表題ですので、正義の暴走として書かれていますが、そもそも正義とは何なのか?という問いかけは、コロナがあろうとなかろうと常につきまといます。しかし、こういった重要局面になると必ずこういった人が現れるのは、どれほど世の中が成熟しても関係がないようで、世の中を嫌な方向に持って行くつもりはなくとも、正義の名の下に、漫画のような社会にすることを希望する人もいるのかもしれません。
「今、日本中に広まりつつあるのは、人それぞれの「正義」だ。非常時に人々がパニック状態になり、よそ者や少数派を攻撃する心理は、SF映画などでもよく描かれてきた。理由を探し出し、独自の正義感から悪に対して鉄槌を振るう」
このような指摘が記事にありましが、その通りなのでしょう。しかし、今は正解なき世の中です。悪は目に見えやすいかもしれませんが、悪をやっつけるのが正義だと決めつけるのはあまりにも危険です。悪と関わりのないところでの正義を見つける工夫と努力をする方が大切なはずです。悪をやっつけることを正義と決めつけてしまうと、遠からず、自分がやっつけられる日が来てしまうことを、自粛ポリスは想像しない(できない)のかもしれません。
また、国とやらの言うことをよりどころとして、それを正義と決めてかかるのも危険です。この国の現総理大臣を正義と見なすのは無理がありすぎます。
今、必要なのはむしろ寛容性であり、失われつつある他者への親切心です。攻撃性がむき出しになりそうになる自分の顔と姿をよくみて、抑制をして、困っている人に手を差し伸べようと、人工的にでもやってみることではないかと思っています。それが自分で偽善と感じても構わないと思います。私もちょいちょい偽善慈業と称してやっています。偽善ですので、ここでいちいち言わないですが、自分にできることをしているつもりです。見返りだけは求めないところを重視しています。悪をやっつけるのではなく、その攻撃性を抑えることがむしろ必要なことだろうと考えています。
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