大学院に進む意義
どうも「役に立つ」「役に立たない」というフレーズを聞くと、すぐにかつやや過剰に反応してしまうのが、良くないところかもしれませんが、どうしても気になります。
これまでも似たようなコラムを書いてきました。
「すぐに役に立つ学問」などなく、積み重ねと情熱こそが重要です
このようなコラムには、要するに、長い目で見ると、すべて役に立つということを述べたつもりですが、もう一歩踏み込むならば、自分の学んだこと、身につけたことが、具体的に、どの分野で、どのように、役に立たせられるか、ということを日々考えておくことが大切なのだと考えています。スマホやPCのように便利すぎるものが目の前にあると、そのようなアイディアを産む思考ができなくなるのだと思います。しかし、国を名乗る役所や破壊ばかりする保守を名乗る政治家は、この役に立つか立たないかを評価基準にするために、一般人はそこで評価されねばならないと考えますから、それに振り回されます。世の中がせせこましく、世知辛く、大らかさがなくなっていると、おそらく多くの人が感じていると思いますが、この判断基準が元凶とまでは言いませんが、大きな影響があると思います。
朝日新聞の「折々のことば」に、以上の棘のある私の言葉より、はるかにまろやかな言葉が掲載されていました。以下、引用させていただきます。
『あわいの力』で一世を風靡した安田登氏の言葉を鷲田清一氏が引用したものです。
年を取ると人生って言葉自体がだんだんどうでもよくなるから、役に立つも立たないも死んでしまえば皆同じって心境になります。
安田登
鷲田さんのことば
役に立つか立たないか。それで、ものや人のあり方を評価する社会は、どこか貧相でみみっちくて、心を寒くする。評価の軸がいつも外にあるから、内なる誇りも保てない。シュメール語を勉強したりして、親から「お前は役に立たないものばかり覚えて」と言われ続けてきた能楽師は、今の心持ちをこう語る。6月17日のツイッターから。(鷲田清一)
安田氏の博学ぶりは誰もが認めるところです。よく考えてみると、PCにせよスマホにせよ、役に立つことを否定しませんが、あの箱の中にある膨大な情報量のごく一部しか私たちは使っていません(使えていません)。自分という器を目一杯広げて、入るだけ、精一杯の中味を詰め込んで、それで「自分」です。器の中味の大半は単体では役に立ちませんが、長い目で見ると、役に立つから入っているのだと思います。あとはそれをどう使うかは自分次第で、大人になってから、うまく組み合わせて使う方法をしっかり学ぶ必要があります。役に立つか、立たないかを考えてから学ぶのではなく、入っているものをどう使うか、あるいは入っているものをもっとよく使うために新しいものを入れて、カスタマイズしていくことが大切なのだと考えています。
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