他人(の目)を気にしないようにできない人
文学部って何の役に立つのという記事を見ました。「文学部の学問が本領を発揮するのは、人生の岐路に立ったときではないか、と私は考えます」と阪大文学部長の先生は仰います。これは全くその通りだと思います。私たちが住んでいる娑婆世界の空気は、決しておいしいものではなく、苦しみの方向に私たちをいざないます。油断していると、すぐに私たちは不安になります。何もしていなければ、何もしていない自分に苛立ちを覚えます。何かをすれば、無力な自分に絶望することがあります。幸せなことがあると、いつまで続くか不安になりますし、長く続いたら、堕落した自分を許せなくなることもあります。言い出せばキリがないくらい、油断していると、私たちは苦しみの方向に向かってしまうようにできているようです。
ましてや、実際に不幸なことが自分に起こった場合、この苦しみの大きさたるや、並大抵ではない人も少なからずいます。そうすると、他人が自分の苦しみを作ったと錯覚します。ひどい場合、嘘をついて他人を誹謗中傷する人もいます。嘘をついている方が逆ギレするという今の政治家みたいな人もいます。
こんな苦しみばかりにいざなう世界にあって、可能な限り快適に死ぬまで生きる智慧を与えてくれるのが教養です。教養があると、単に知識があるだけではなく、深い理解があり、その理解からさらなる思索がなされ、その思索から、幅広い観点が生まれ・・・といった循環が生まれます。負の連鎖にはまり込むと、なかなか抜け出せませんが、正の連鎖は私たちを良い方向に導きます。
文学部は、先人の智慧が詰まった集合体です。成功した人も、失敗した人も、絶望した人も、喜んだ人も、人間のあらゆる体験が詰まって、積み上げられた堆積です。どこかに必ず自分を救ってくれる宝が、その堆積に埋まっています。私たちは、その宝を探すトレジャーハンターなのです。
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