他人(の目)を気にしないようにできない人
これは、一般的に「主観的で言語化することができない知識」くらいの意味です。簡単に言うと、自転車の乗り方を最初に覚えた感覚のようなものです。先に乗れるようになってから、後から理屈をつけていきます。多分ブッダの悟りもそんな類だったと思います。口で説明しにくい、あるいは伝えにくいものです。
最新の論文として、大崎正瑠(2017)「暗黙知を再吟味する」という論文から、定義を引用させていただくと、
「言わば個人が実際に身体を使って習得した知識は,「身体知」「経験知」であるが,この中で詳記不能な知識すなわち表出伝達不可能な知識が「暗黙知」である。その他には遺伝的・本能的「暗黙知」がある」。
私たちは、自分がどんな暗黙知を持っているかについて、あまり関心を持てないものですが、いわゆる「ノウハウ」「コツ」「さじ加減」はこの類でしょう。ふと、思ったのですが、よく「ノウハウを教える」というキャッチフレーズがあるのですが、
(というより、ある営業電話でそう言われたのですが)
「ノウハウって教えられるのですか?」
と問うてみたところ、
「教えられます!」(相手からすると食いついた!ってところでしょうか)
との返答。
「ノウハウってのは暗黙知ですか、形式知ですか?」
と問い直すと、
「・・・・わかりました」
「何が?」
「ガチャ」
企業によっては暗黙知を形式知に変えているところがあると聞いたことがあるので、純粋にこの点について聞きたかったのですが、嫌な断り方をしたと思われたのかもしれません。暗黙知を、形にするコツ(暗黙知)があれば、是非聞きたいなと思うのですが、ネットで調べる程度ではなかなか良いものが見つかりません。プロを名乗る人間はすべからく、自分の専門分野においては、これを形式知にして持っているものだと思われますが、これについては、基本的にはプロの技ですので、門外不出であることが多いと思われます。私の高校の友人はパチプロでしたが、コツを教えろと言っても、
「お前らに言ってもわからんし、教えてもお前らにはできん」
としか言いませんでした。確かに、私も、私たちが手がける受験について(おそらく)私にしかわからないさじ加減があると思います。これについてはスタッフにも伝えていません。というより、感覚ですので伝えようがありません。現代はエビデンスベースの時代です。これの良いところは形式知を一般化することで、ある能力が誰にでもできるようになるところです。しかし、最近は大衆化が早くなり、暗黙知の価値がすぐに損なわれるようになっているように思えてなりません。形式知の難点は、個性が失われてしまうことです。かつて、大学の先生は個性の集まりでした(悪く言えば変わった人が多かった)。しかし、今はあまりそういった先生は好まれない傾向が強いようです。どちらが良いのかは、一概に言えませんが、私たちのような規模の小さい企業は、暗黙知を重視した方が良いように思えます。規模が大きくなればなるほど形式知が重視されることになるのですが、同じようにしてしまったのでは、自分たちの個性が消えてしまうことになります。職人として暗黙知を重視しましょう。
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