コムニタスの名前の由来
現在、必修の授業ではこんなことしてはダメよ集をしています。その中にエラーチェックが含まれます。これは特に書類作成だけではなく、小論文、面接、論述、討論などに共通します。これまで私が言ってきた「こんなことをしてはいけない三大要素」は、「何となく」「よくわからんけど」「自分の目で見た」です。これらは「確たる根拠はない」と言っているようなものです。例えば面接で、「あなたはなぜこの大学を志望したのですか」と聞かれて、「何となくです」「よくわかりませんが」なんて言おうものなら、それだけで不合格にされそうです。「自分の目で見たから」は、一見大丈夫そうなのですが、自分の目で見たこと自体は根拠にはなりません。間違っているかもしれないからです。裁判で証言が必ずしも証拠にならないのと同様です。
しかし、最近の時事的な情報と私自身の裁判経験を考慮すると、「嘘をつく」「誹謗中傷する」という項目も、してはならないことの基本的なこととして頭に入れておく必要があります。大阪の小学校の問題も、南スーダンの問題も、築地の移転問題も、隣の国の大統領罷免も、その隣の国の暗殺事件も、誰かが嘘をついていることだけが確実な状況です。そうであるにも関わらず、嘘の上塗りと、それに基づくさらなる誹謗中傷合戦。まさに「良い子は見てはいけません」と言うべき醜態です。
その他にもしてはダメよ集があります。それは「魂の叫び」と「つちのこ」です。「魂の叫び」は結局「なんとなく」と類似する部分があって、雰囲気はわかる気もするのですが、合理性は全くありません。まず「魂」の意味がわかりません。あるのかないのか議論がわかれるでしょうし、また万人に合理的に説明できる人などいないと思います。私もできません。まして、そんな意味不明なものが「叫ぶ」と言われてもさっぱり意味がわからないのです。「つちのこ」は名前は知っているのですが、多分見たことのある人はそうはいないと思います。つまり、見たことのないものを、あるいは見てはいないものを前提に話を進めると、必ず行き詰まるのです。嘘ついて他人を誹謗中傷する人も同様で、自分がありもしないものを勝手に捏造しておきながら、相手が捏造したことにすり替えるのです。しかし見事に行き詰まって、裁判でもボロボロになってしまうのです。そういうことをすると、自分だけが不利益を被るならまだしも、いわれのない人を傷つける可能性が生じます。
私たちは、できる限り、思考を具体的にして、意味不明な用語を使わないように心がけることが重要なのです。今必修で教材として、ある小論文の参考書を使っているのですが、これがとてつもなく良くない教材で、例えば、少子化を扱った解説のところで、「幸福な社会とは子どもが産まれすぎもせず、産まれなさすぎもしない社会」と述べています。何が言いたいのでしょう?自然にそうなったらいいなという希望なのでしょうか?それともだれかが操作して管理しろという意味なのでしょうか?放っておいて産まれすぎも、産まれなさすぎもしないことなんてあり得ませんし、誰がその基準を決めるのでしょうか?現在の日本と北欧のいくつかの福祉国家では全く事情が異なるので、どのくらい子どもが産まれたらよいのかという基準は異なります。またそんな社会が過去に存在したなら、その具体例が必要です。ただし、過去にあったとしても、今は違うということなので、明らかにその基準は間違ってはいますが・・・10年前はまだ少子化に関して真面目に考えるという風潮は少なかったのかもしれません。不真面目な議論からは抽象論しか生じません。だから、当時の子どもを出産できる世代の人々の生の声としての求めを聞く意思がなかったのかもしれません。我々はできる限り生の声を集めて、情報とする必要があります。
この教材は少子化対策として、何を提言したのかというと、「男女共同参画社会の実現」と言います。これで合計特殊出生率が増えると言うのです。男女共同参画社会という言葉それ自体は全く適切です。ただしこれをなんらかの根拠にするならば、それ相応の数値的基準とそれに基づいた調査が必要です。それがなければスローガンとして扱うべきです。ましてや、それが少子化対策になるというからには極めて精緻な調査がないともちろん言えません。したがって「男女共同参画社会の実現」と漠然と謳ってみたとて、どうすれば実現したことになるのかの基準を示さず、「何となく」誰かを批判するようなやり方には全く感心しません。よって「男女共同参画社会の実現によって出生率が上がる」という理屈が正しいか否かの数字的検証もせずに、理屈だけを先走らせるやり方は明らかに間違っています。いわゆる「結論ありき」というやつです。嘘をついて他人を誹謗中傷する人がその典型ですが、常に自分に都合のいい結論しか受け入れられないのは非常に危ういと言わざるを得ません。
さらにこれがおかしい理由としては、100年後に出生率が上がっていなかったとします。そうすると、「それみたことか、男女共同参画社会が実現していないからだ」と言えるからです。
誤った思い込みは、無意識で他者を攻撃してしまっている場合が結構あります。おそらく本人は悪気はないと言うでしょう。しかし、それでは許してはもらえないことも多々あると思います。まず自分が何を言っているのか、相手がそれをどう受けとめるか、それを考えるところから始める必要があると思います。
重要なことは、事実と合理性と証拠です。この点については、稿をあらためます。
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