大学院に進む意義
先日、就職活動中の生徒さんと、事務機能の重要性について話をしていました。特に、何であれ、組織の立ち上げでまず必要なものは事務です。事務がないと、人員の管理ができませんし、金銭管理もできません。そのためパブリックができません。パブリックの形成が甘いと、当然、法も甘くなるので、人治主義になりがちで、法治が甘くなります。こういった組織は長続きしません。法治が甘いと、文書を残して積み上げることが雑になったり、ウソをつきすぎたり、そもそも記録しなかったりします。こうなると、歴史ができません。歴史ができないということは、その組織の命脈は終わっているということになります。これらを担うのが事務なのです。言い方を変えると、事務があるから、公式の文書が積み上げられ、そして歴史ができていくのです。100年残る文章を作るのが事務の基本です。100年とは、書いた本人がなくなった後も残るということです。それだけの力のある言葉を身に付けておきたいものです。
私は文献学で育ってきましたので、常に言語と格闘します。私にとって研究と言えば、過去の言葉とのコミュニケーションが第一にイメージされます。研究者にとって何をもって研究とするかは、分野によって様々なとらえ方があるでしょうから、今は触れませんが、私たちが教育という枠組みで思考する時には、言葉は極めて重要な役割を担います。言葉がなければ、教育は成り立ちません。古代インドのバラモンも神々を讃える歌を言語と音階に乗せて、弟子たちに伝えたのです。そして代々継承していったのです。本来教育の重要なところは、先人から引き継いだ言葉をそのままの形(文字など)と音で次につなぐことにあります。仏教は(もちろん様々なドラマを経て原型がわからないくらい変容していますが)、今に残っている理由は、この意味での教育システムが規定されていたからと言えます。いわゆる戒律の書かれた文献をみると、2500年前に設定されたとは思えないくらい精緻なシステムが構築されています。そして、修行者は師匠から仏教の教えを言葉で様々習っていくのですが、基本は暗記をしていきます。書いて覚えるなどという教育システムはありませんでした。ましてや先生が書いたものをノートに書いて、それを親がチェックするなどという教育システムなど存在しません。彼らは膨大な仏教の言葉を暗記することも教育として習い、次世代に引き継ぐのです。そうやって醸成された言葉であるからこそ、形は多少は変わってはいるでしょうが、現代も尚強い力を持っているのだと思います。
しかし、昨今、「政治家の言葉が軽い」と言われることをはじめとして、言葉が力と信用を失っていることがよく指摘されています。簡単に自分の発言を覆したり、居直ると言いますか、逆ギレ的発言が多いことも憂うべきことかと思います。嘘をついて他人を誹謗中傷するなどもっての外です。言葉は言うまでもなく無形物です。それが力を持つのは、他者が信用してくれた時のみです。他者が聞いてくれなければ、意味をなしません。外交をはじめとして、他者と関わるには時には(後から言うところの)嘘をつかねばならない時も確かにあります。しかし、他者の信を失った者が何を言っても誰も聞いてくれないのです。やはり日頃から他者の信を得られるだけの言葉を作り、それに基づいた行動をとり、そして間違った時は、言葉の軌道修正をして、承認を得る。このような日頃の積み重ねが必要だと思います。
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