古宮昇先生講演会
「何事も見方、言い方、とらえ方次第」とは、私自身が常に強く心に止めている言葉です。私たちはメディア情報にどうしても振り回されますので、メディアの視点でしか、物事を捉えられないことが少なからずありますし、ほとんどの場合、それに気づきません。気づけたとしてもごく一部にすぎません。まずはその自覚が大切なのですが、実際はそれさえ容易ではありません。仏教では、最も基本的な教義として四諦八正道を説きますが、八正道の第一が「正見」で、あるがまま、正しくものを見ることです。あるがまま、というのは簡単ですが、「世の無常」をあるがまま、と言われても、途方に暮れます。確かに事実としては、世のあらゆるものは無常であって、無常でないものを見つけるのは無理かもしれません。自分でさえ無常ですし、自分の今の状態を正確に見て、それが数分後どう変化しているかなど、考えたこともありません。こういったことができて、第二ステージの「正思惟」に行けますが、私などは、生涯第一ステージクリアさえできなさそうです。嘘をついて他人を誹謗中傷する人に出会うと、つい、「この世からいなくなるべき」と考えてしまいがちですが、事実は、無理ですし、何か意味があって存在しているのかもしれませんし、もしかすると反省しているのかもしれませんし、もしかすると、彼の住む世界では、それが正しいことなのかもしれません。一人の人間を見るだけでも無数の尺度があり、一面的な見方は論外であり、多面的な見方をしても少ないのが本当です。
しかし、訓練をするコツが一切ないかというと、そうでもありません。ポイントは、自分の見方にこだわらないことです。今の時代、ツイッターなど、非常に短い言葉が力を持っており、説明不足が否めません。ツイッター同士のいがみ合いや中傷合戦は本当に実りが少ないと感じます。できるならば、短い言葉ではなく、時間をかけて、言葉を尽くしてみると、それだけで、少なくとも自分の偏った一面的な見方については、おかしいことに気づくことは可能です。
(この人は常に例外です。自分の偏った思考を裏付けるために嘘をつきますから)
偏った見方を回避するには、対象とじっくり関わることが重要です。あらゆる人、物、物以外に対する偏見を取り去ることは、もはや無理ですので、そこは割り切って、自分が関わる人や物に対する偏見は邪魔以外何者でもありません。だから私は、できるだけ一人ひとりの生徒と長時間関わるようにしています。今は予約にならざるを得ないですが、授業外で、一人30分から1時間話を聞きます。朝までかかることもありますが、そこでお互い言葉を尽くすことで、偏った見方、お互いに対する適切な言葉の使い方、相手の言い方、見方に対するとらえ方が、個々で変わってきます。そうすることで、相手に対する固定概念を減らし、相手の言うこと(特にイラショナルビリーフから発せられる言葉)にも振り回されず、自分の偏った見方にも振り回されない対応が少しずつ可能になってきます。私はこの作業をとても重視しています。
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