幸福度
以前「ナンバーワンにならなくてもいい、元々特別なオンリーワン」という歌のフレーズが持て囃されました。最近、そのアイドルグループの解散騒動でまた注目されているそうです。私はこの元々特別なオンリーワンという言葉に強烈な違和感と不快感があります。塾生には間違っても素晴らしい言葉だと考えないように、いつも伝えています。理由は「元々特別なもの」などこの世に存在しないからです。もしも、仮に王様は神から与えられた権限であることが認められ、それが元々特別であることを人々が認めたとしても、だからといって、いわゆる下々のものまでが「元々特別な下々」である必要性はありません。また、差別を受けている人が、元々特別なのだから、しょうがないという理屈も許されるとは思いません。インドでは、よく知られているようにカーストというものが根付いており、すべては生まれで決まるのです。だから、努力すれば報われるという発想自体が希薄になってしまいます。これは立派な差別で、インドの成長を阻害しているとも言われています。仏教は「努力」をすることで自己変革することを説きました。いわゆる修業ですが、これは当時としては画期的な発想だったと思われます。つまり、「元々特別」なる考え方は、カーストと同じということになるのです。
「オンリーワン」は必ずしも否定しません。「ナンバーワンにならなくてもいい」この部分には同意します。ナンバーツーでもスリーでもいいからです。しかし、100人中100位でもいいという意味でこのオンリーワンという言葉を使っているのであるならば、全く同意しません。入試で最下位の人が「私はオンリーワン」と強弁してみたら、どうなるかを想像してみれば、いかにおかしなことを言っているかがよくわかります。まず相手にされないでしょうし、不合格という事実も動かないと思います。(最近は大学受験で全員合格というケースもありますが)
以上から「元々特別なオンリーワン」は否定しますが、「ナンバーワン」になることを否定する必要はありません。なれるならなればいいと思います。なったらその後が大変でしょうが、それもナンバーワンの宿命でしょうし。オリンピックのメダリストは金銀銅全部賞賛されるべきだと思います。それでも、例えばサッカーやラグビーなど、なかなかメダルに届かない競技もありますが、努力、研鑽を重ねて、強者に挑む姿も素晴らしいと思います。
以前、事業仕分けという政治家のパフォーマンスで迷言としてメディアにおどった「2位ではだめなのですか?」こんな発想も歪んだ元々特別なオンリーワン思想から来ているのかもしれません。1位を目指して努力している人たちにあまりにも失礼です。オリンピック選手の合宿所に行って、2位じゃダメですか?と聞くようなものです。しかし、自分にしかないものを引き出して、特徴とし、それを自己アピールとすると、説得力があります。その意味でオンリーワンの自分を描いてみるのも良いでしょう。
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