「教育とは何か」という漠然とした問いが今問われています

井上博文

井上博文

テーマ:雑感

前回の想像力と教養 の延長線上ですが、元超有名プロ野球選手の逮捕を受けて、「教育」が問われています。よく見ると、百花繚乱、言い方は悪いですが、本当に教育論というのは(エビデンスのある)定説がなく、都市伝説的に、皆が語れる分野であることが示されています。中には「ぶん殴ってでも彼を止める(躾ける)人がいなかったことが残念」という恐るべき見解もありました。自分にそれをやる勇気があるなら、自分がすればいいだけの話だと思うのですが、典型的な外野の無責任見解です。飲み屋で、阪神ファンが、「ここはピッチャー代えたらあかんやろ~、それ見てみぃ、打たれたやろ~、打たれるの、わし、わかってたわ」と同じ構造です。また、若い頃の教育について語る人の多いことは、予測はつきますが、安直すぎる気もします。おそらく彼の教育問題は、事の本質とは、近い位置にあっても、本質とは言えないはずです。教育問題は、このように、大きな問題をコーティイングするかのように、常に、どの人の背後にも存在しますので、ある意味、誰にでも言及することができるのです。
それが悪いとは全く思わないのですが、例えば、日本の場合、「高校野球(≒高校スポーツ)は教育の一環」であるという言い方があるように、スポーツも教育であるという考え方は確かに存在します。場合によっては箱根駅伝でさえ、それを言う人もいます。こういった説は、よく考えてみると、誰も否定も肯定もできず、声高に言ったら、通ってしまったかのような印象を受けます。高校スポーツが教育であるという説について、誰もエビデンスでもって、そうであるか、あるいは、そうでないか、証明しようとも考えないような問いだったと思います。例えば、高校スポーツでも、大学スポーツでも、「留学生」を使うチームが強いことは否めません。全国高校駅伝は、毎年京都で行われていますが、昨年年末に優勝したチームも、ケニア人留学生を使います。留学生はあまりにも強いので、4分の1を走る1区では使えなくなりましたが、このルールも一体何をしたいのかわからないルールです。これも「高校スポーツは教育の一環」という美辞に拘束された結果、中途半端な見解になってしまった事例と言えると思います。一般人の目には、もはや高校スポーツではないかのようにうつります。なぜなら駅伝における留学生は大半がケニア人だからです。アジア系など見たことも聞いたこともありません。「芸人」が国籍を変えて、マラソンのオリンピック代表になろうとしているという話題がありましたが、教育と言うならば、そのカンボジアから留学生を連れてきて、カンボジアの陸上の強化に寄与してもよさそうなものですが、そんなことをする高校はまずないでしょう。要するに競技力として、助っ人でなければならないのです。いくら綺麗ごとや屁理屈を並べても、競技力がなければ、「クビ」になるのです。その必死の姿勢が、周囲の高校生に良い影響を与えることはあるでしょうし、留学生がいないチームはどんな名門校でも勝ち目はありませんので、留学生のいるチームに入学した方が、合理的でもあります。これで教育と言われても、教育という言葉が建前で使われている典型とも言えるのです。このような見解を聞いて、「違う点」を探して、いくら言いつくろってみても、この現実が揺らぐものではありません。

しかし、一方で、よく考えてみると、そもそも高校スポーツが、教育であるというのは、実は暗黙の了解でしかなく、ルールも曖昧であり、特に何かしらのエビデンスがあるわけではないのです。別に留学生に来てもらわなくとも、野球などは、全国どこにでも野球留学しますし、もはやそれをアンフェアだと考える人も少なくなってきていますから、近年の野球漫画は、強豪校のスカウティングという、一昔前にはタブーではなかったかなと思うことも、堂々と書いています。
また、一方で、日本は、オリンピックで、まだドーピング違反を出したことがなく、その精神性は高く評価されており、日本人のフェア精神、すなわち、「正々堂々」「我慢」「あきらめない」「礼儀正しい」「感謝心」などの言葉に代表される美辞麗句は、日本の「スポーツ教育」の中で培われるという考え方も確かに存在します。私でさえ、高校の時に、練習前後でグラウンドに礼をしていました。また競技終了後、どんなにつらくても、トラックを出る時にも一礼をするように「指導」を受けました。今でも駅伝で、次の走者に襷を渡したあと、礼をして立ち去る選手は少なくなく、一流ほどそれをするかのような印象さえあります。もちろん、統計もエビデンスもありませんが。だから、日本のスポーツ教育学びにくる海外の指導者もいます。なんだか、大混乱・・といった状況が現在なのです。

おそらく、教育という漠然とした概念は、教育学の分野だけではなく、学際的に様々な分野から問われねばならない課題なのではないかと思うのです。心理学は、すでにそういった学際的研究の最たるものとして認識されていると思います。心理学者の中には「学術博士」という名称の博士号を取得しておられる方は多く、これは学際的に研究をした人におくられます。以前、学力の経済学という本を紹介しましたが、経済学の分野だけではなく、スポーツ科学、経営学、宗教学などの分野は教育学と交わっても良いのではないかと思います。「教育にエビデンス」という時代が来るのは、遠い将来ではないと思っています。


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井上博文(塾講師)

株式会社コムニタス

塾長以下、スタッフが、全ての生徒の状態を正確に把握している。生徒をよく観察し、成長度合、どのような不安や悩みを抱えているか、をしっかりと観察し、スタッフ間で情報共有をしている。

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