適者生存
京都コムニタスの必修の授業は、論理的思考を下地として、負の連鎖を作らないようにし、可能であれば良い連鎖を作ることを意識できるようになることをスタートラインとします。そこに論文、研究計画、志望理由、面接対策が乗っかり、重層構造の思考データベースを作ります。最初の段階で思考にエラーがあると、上に何を乗せても、壊れたPCにアプリケーションを乗せるようなものですし、壊れたPCでエラーチェックをしても、あまりいいことにはならないでしょう。だから最初のエラーチェックが大事なのです。この時点で、「不安だからAという単語帳を全部覚える」というところから始めてしまうと、ある程度覚えていくと「ここからでなかったらどうしよう」という不安が生じて、次の単語帳に着手します。この繰り返しで、3つほど手を出して、進めていくと、今度は、「最初のA単語帳の覚えた単語を忘れたらどうしよう」となります。要するにキリがないのです。仏教ではこういったキリのなさを生み出すものを煩悩と言い、「塩水を飲む」といった表現がなされますが、飲めば飲むほどのどが渇くという状況になります。塩水を飲んで、苦しんでいる人が、さらに、「私がこうなったのはあいつが悪い」と言い始めると、さらにややこしいことが起こります。事実はさておき恨みを抱き始めると、もう止まりません。そこから怒りが生じると、もはや攻撃をするしかオプションは残りません。さあ、どうする・・・?
人間関係でも国際関係でも、必ず「何でこうなった?」と問いかけざるを得ないような関係は、無数にあります。今のテロをやる方も、テロと戦争をするという方も、何でこうなった?と問いかけている人は少なからずいるはずです。あまりにも期間がながくなったり、恨みが深まりすぎると、仮に原因がわかっても、本当にどうしようもなくないのではないかという事態になってしまいます。そうすると、「どちらかが滅びるまで」となってしまいます。人間の英知の基本は、争いの回避です。世界で一番嫌いな人と共存する智慧のはずです。好きだろうが、嫌いだろうが生きてくしかないわけです。できるなら、まぁ、しょうがないか、という落としどころをしっかり作って、それ以上、恨みを可能な限り次世代に引き継がないようにするのが、現世代の仕事です。負の連鎖にはまり込んでしまうと、何も見えなくなってしまう傾向が強くなるようです。とりわけ若い方々に是非読んでいただきたい記事があります。パリとシリアとイラクとベイルートの死者を悼むというコラムです。私たちがいかに普段から、様々なところにまなざしを向ける訓練をしておかねばならないかをいうことを教えてくれる記事です。たぶん、政治家(総理大臣に限りません)や戦争で儲けたい人のように、いわれなき人が死んでいくことに目が向かない人には響かないでしょう。こういった人がグローバルを主張すると、心が痛くなりますが、いわれなき、理不尽な形で命を落としていった人々は、テロを受けた側、テロを起こした側双方にいます。テロを単発で批判しても、批判された側からは、そういうお前たちこそがテロリストである、と返されるだけです。これがさらに悪循環を深めます。悪循環から脱するには、まず理不尽な形で命を落としたすべての人にまなざしを向けるところから始めるべきことをこのコラムは教えてくれます。そうすれば、誰が最も理不尽に人を殺したのかが明確になるはずです。まずはイラク戦争の反省のはずです。
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