暴力に教養で応える
ちょっと抽象的なトピックですが、最近、高校生や大学生から相談を受けることが多く、その際特に気になるのが、成功を求めすぎているか、失敗を恐れすぎているか、かなり偏っているなぁと思わされることが多くあり、思い立った次第です。本来、成功を求めることと、失敗を恐れないことは、表裏一体で、コインの表と裏のようなものです。似て非なるものですが、不可分の関係のはずです。しかし、最近そこが切り離されていると言うべきか、最初からくっついていないというべきか、極端に偏っている人が目立つ気がしてならないのです。
成功を求め過ぎても、失敗を恐れすぎても良くないのは誰でもわかります。しかし、なかなかそのバランスをとるのは、確かに難しいもので、たいていの場合、程度の差はあっても、どちらかに偏っています。成功を求めすぎると、結果だけを求めます。私は、常日頃から結果がすべてと言い切っていますが、結果さえ良ければ、内容など問わず、全てよしと言っているわけではありません。世の中全般それが現実であることを、指導者がはっきりと伝えるべきだと考えてはいますが、直近の結果だけを求めることはむしろ不適切です。内容が伴わなければ、結局結果もついて来なくなります。要するに長く結果を出せる内容を追求すべきということになります。結果は出し続けなければならないのです。プロのつらさはそこにあります。引退するまで結果を出し続けるか、結果が出せなくなったら引退するか、こういった思考が付いて回るようになってきます。
東大が北京大ランキングで抜かれたことが話題になっています。こちら
想像ですが、こういった記事を見て、「愚かだなあ」と思っている人は多いと思います(そう信じたい)。こういったランキングを無視することが適切だとは言いませんが、このランキングを上げることを目的としてしまうと、まさに結果だけを求めてしまい、基礎研究がないがしろになりかねません。良いものは誰が見ても良く、悪いものは誰が見ても悪い。これが基本です。国という名前を名乗っている役所が、上っ面のランキングの数字だけを見て、大学の先生の殺人的な忙しさから目をそらしたまま、いくら騒いでも、何の解決にもなりません。いくら箱物とそのグッズを増やしても、使いこなせる人がいなければ何もなりません。ちょっと興味を持って、触ってみようにも、会議会議会議でそんな時間もないのが現状です。ランキングを上げたいのならば、大学の先生に研究の時間を提供するところから始めていかないと、何も変わりません。ほとんどの大学の先生が、専任教員になったら研究ができなくなった、と言います。非常勤講師は、生活で手一杯で研究ができなくなったと言います。大学院生は、将来就職がないと言い聞かされ、研究どころではなくなります。「一体、誰が研究すんねん?」と、もっとツッコんだ方が良いと思います。そこに、ランキングだけ上げねばならないというこの空気感。大学教員の心を折りにかかっているのか疑ってしまいます。あまり、国とか、公共の政策のせいにするのは、主義に反するのですが、冒頭で述べたこのバランスの悪さは、どうも国という名前を名乗っている役所の無能さから来ているとしか思えないのです。
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