成長につながる自己変革
神社仏閣に行くと、そこの宗教者がおり、彼らは必ず、
何らかの「作法」を身につけています
作法というのはなんとも面倒なものです。今の価値観で言えば、
不合理なものと言えるかもしれません。だから、時代を経るに
従ってどんどん省略される傾向にあります。私たちは「簡略」
を合理的と考えます。これは言語にも同じことが言えます。
しかし、一度簡略されてしまうと、元が忘れられてしまいます。
今の時代、忘れ去られたものがあまりにも多いように思います。
私が大学院生の時、ある先生が学問には作法があると言っておられました。
当時、私には意味がよくわかりませんでした。学問の作法については
その後あまり考えることはなかったのですが、ここ数年あまりに簡略しすぎた状態で、
学問と向き合う自分の姿を感じることがあります。特にパソコンを使うようになり、
便利になり、そして手放せなくなってしまいました。
スマホやタブレットも同様です。しかし、インターネットだけではクオリティの高い
学問はできません。あくまで道具の一つに過ぎません。作法がなくなると、
単なる道具が主になり、それがないと何もできないといった本末転倒が
起こっていることに気付きます。作法を知れば、それを行うのは自分自身
のみであって、道具は定められた使用法以外には使いません。
邪魔と言えば邪魔ですが、邪魔にならないように知恵を出すことも可能です。
また時間的区切りをつけることもできます。便利過ぎると知恵も
出なくなってしまうのです。もう一度学問の作法について思いを
めぐらせてみる必要がありそうです。
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