他人(の目)を気にしないようにできない人
論文を書く、研究計画を作る、こういった作業をするときに
極端なことを書くのは、読み手を不快にします。あまり適切な行為とは言えません。
以前にも屁理屈は論文では書いてはいけませんの項で
書いたことがあるのですが、池田信夫氏という方、暴論が多い気がします。
氏の大学教育では遅すぎるという記事は暴論と言わざるを得ません。
まず論のスタートは図を提示し、
図のように脳内のニューロンは、1歳までに急速に減る一方、
シナプスの結合は増えるからだ。幼児心理学でもよく知られているように、
脳のハードウェアは1歳までにできてしまい、あとは学習によってソフトウェアが
蓄積されるのだ。
こういった前提を立てます。このような説はあちらこちらで報道されていますので
別に嘘というわけではないのでしょうが、専門外の人間が、これを根拠に論を
たてていくのは危険ですので、やらない方が賢明でしょう。しかし、問題はここからです。
人間の情報処理能力は幼児のうちにほとんど決まるので、
高校以上の学校教育には大した意味がない。
学校は、フーコーもいうように軍事教練のためにできたもので、
教育機関としては非効率だ。
子供のとき知的好奇心を身につけた子供は学校へ行かなくても
自分で勉強するし、そういうハードウェアの形成できなかった子供は、
いくら詰め込み勉強をやっても身につかない。
こういった暴論を世にまき散らすのは、是非おやめいただきたい。
「人間の情報処理能力は幼児のうちにほとんど決まる」
→漠然としています。どのような指標でそれを測定しているのでしょうか?
幼児とは小学生になるまででしょうか?
これを根拠に「高校以上の学校教育には大した意味がない」
→着眼点によると思いますが、教育としてということなのか、
情報処理を鍛える目的においては、ということなのか、何に対して
意味がないと言っているのか理解できません。
「学校school」というのは、何もフーコーの言うものだけではなく、
私たちが今イメージする教育機関としての機能を果たしたものも当然あります。
仏教にも大乗仏教誕生の頃の紀元前後ごろから、5世紀くらいまでに
学派(school)仏教ができてきました。最近の研究ではこれはおそらく
出家の僧侶が中心であったと考えられています。インド仏教を起源とする出家の
僧侶(比丘)は20歳以上から認められます。それまでは見習いの沙弥と言いますが、
8歳までの幼児教育を受けていないと、良い僧侶になれないなどという話は聞いたことも、
見たこともありません。
ブッダが出家したのは29歳の時、悟ったと言われるのは35歳の時です。
仏教が発足したのは、ブッダがそれなりの年齢になってからです。
仏教は教育システムに強いこだわりを示します。これは次世代に教えを紡いでいくためです。
師匠(和尚という)、先生(阿闍梨)という教育者をつけることができますし、
弟子に対して、ブッダの教えを一から教え、さらに生活の仕方、倫理など様々なことを
教えていくシステムをかなり早い時期から作り上げたのです。そんな2500年の伝統に対して、
「効率」などという軽々しい言葉は使えません。もちろん仏教は合理性を重んじますので、
不合理を嫌います。でもだからと言って(それ故に)、ニューロンだ、シナプスだ、
だから1歳までに情報処理能力ができるから、他は無意味だ・・といった理屈はたてません。
学ぼうと思えば、ごくわずかの例外を除いて、誰でも学ぶことができます。
この間口の広さ、おおらかさが仏教の良いところです。8歳までに情報処理能力が
できていなければ、学ぶ資格なしと言わんばかりの理屈は、狭量と言わざるを得ません。
だから「ハードウェアの形成できなかった子供は、いくら詰め込み勉強をやっても身につかない」
という文言もあまりにもひどい内容です。すべては結果論にすぎません。
例えば、今でもミャンマーの僧侶は、大量の仏典を丸暗記しています。
私が知る人でも、辞書の厚さにして、20冊や30冊分くらい、軽く暗記しています。
若かりしころ、失礼なことに、テストみたいなこともしたことがあります。
でも、何を聞いても答えてくれ、正確に仏典の位置も把握しているのです。
でもその僧侶の方は出家したのは16歳の時です。池田氏の理屈で言えば、
それは元々「はーどうぇあ」ができていたからだ、となるのでしょう。
でも私の理屈で言えばそれは、16歳以降努力したからだ、となりますし、
ご本人もそういった自覚です。
仮に1歳でハードウエアとやらができるとして、その後20年、ハードウエアの
できている人とできていない人の比較をし続けたという研究はあるのでしょうか?
そんな研究があるなら、かなり倫理的に問題があると思います。また尺度によって
解釈が変わるでしょうから、余程の数を処理しない限り、信頼性のある研究には
なり得ないでしょう。また、1歳の我が子をそんな研究のサンプルにしたい親など
ほとんどいないでしょう。仮に私が親なら絶対受け容れません。ハードウエアの構築など
1歳の子どもにとって、その後の人生を考えた場合、ただの余計な情報であり、
何の参考資料にもなりません。
学ぶことに年齢など関係ありません。
何歳になっても伸びる人は伸びます。
結果論だけでニューロンだのハードウェアができただのというのは
あまりにもナンセンスです。
自分の現状を正確に受け容れ、正しい方法で学べば、
程度の差はあれども、死ぬまで成長し続けることはできます。
その方法を教えるのが教育です。
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