暴力に教養で応える
私の世代が大学生のときは、パソコンはまだ一般的ではなく
(Windowsが出始めたころです)
卒論は手書きが主流でした。だから文量の目安も「400字詰めの原稿用紙⚫️⚫️枚」
でした。卒論は一般的に原稿用紙50枚、修論は100枚といった基準で
今も考える癖が抜けていません。例えば、16000字と見ると、
ああ、原稿用紙40枚、卒論よりちょっと少ない程度か・・といった
認識を持ちます。
私は、ワープロ(書院:覚えていますでしょうか?)で卒論を書きました。
パソコンを買った(買えた)のはM2になってからでした。
最初はワードの使い方もわからず、どうもワードが合わないという話を
していたら先輩から一太郎を薦められ、いまだに一太郎派です。
それはどうでもいいのですが、
この時代、まだコピペなど一般用語ではありませんでしたし、
資料もネット上にはほとんどなく、
(私が家でネットができるようになったのはD1の時)
論文をネットで発表するという風潮もまだほとんどありませんでした。
時代はどんどん進み、今は資料もかなりネットで見ることができます。
そうなると検索もできるようになり、大変便利になりました。
一方で便利になると横着になるので、その便利グッズに頼り切ってしまいます。
そうなると、「本来あるべき姿」からかけ離れてしまい、どうすべきでるか、
あるいは、してはならないことがわからなくなっていまうということが
起こりえてしまいます。
しかし、今の時代にネットを使ってはいけないというのも、
それはそれでナンセンスです。やはり使うべき物は
しっかり使った方がよいはずです。要は使い方の問題です。
一方で、私が学生の時、論文の書き方がわからないと、指導教授に
相談(愚痴?)をしにいった時のこと。その先生は、まずは自分がこれはすごいと
思った論文の書き方を徹底的に分析して、真似できるところは、真似をしてみなさいと
言われました。これはコピペとは意味が違います。他人が書いたものを
そのまま、あたかも自分が書いたかのようにパクることではないのです。
これによって文章の構造の作り方、専門用語の使い方、
わかりやすく見せる方法、論の組み立て方、崩し方、証明式の立て方、
説得力を増させる演出などなど、たくさん学びました。
とりわけ英語の論文は苦労しました。どの書き方が良いのか、
わかりやすいのか、判別がなかなか着かなかったからです。
それでも何人かの書き方を真似することで、「自分なり」が少し見えた気がします。
模倣とコピペの決定的な違い、それは学びがあるか否かに集約されます。
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