阪神大震災より19年

井上博文

井上博文

テーマ:雑感

昨年も書いたのですが、
1月17日は阪神大震災があった日です。
1995年のことで、この年はオウム真理教事件もあり、
何とも大変な年でした。
あれから19年たち、来年で20年。
19の次は20だから当たり前ですが、年月の早さを感じます。
そのとき生まれた子どもがもう大学生になっているわけです。
神戸はもう震災の面影はほとんどありません。
忘れることは決してないにせよ、震災を知らない世代も
確かに育っています。私は必修の授業で、例示として
震災時のことや、オウムのことにふれることもありますが、
クラスが大学生だけだと、誰も知らないなんてことが
すでに起こっています。すでに歴史上のことになりつつ
あるということです。

歴史という観点から見るならば、結果から物を見ますので、
震災から復興のプロセスを経て今があることを俯瞰して見ます。
歴史は過去を通して今を見るものです。隣の横暴な国々の
ように自分たちの都合で歴史を外交問題にしたり、
今の自分たちの不調を永遠に歴史のせいにしたり、
自分たちに向いた不満を歴史問題にすり替えて日本のせいに
したりという態度は、あまりにも不適切です。
震災を知らない世代が、当時の村山政権の不備不足
(実はそんなにありませんでしたが)を重箱の隅をつついて
探しだし、賠償を要求しても、実はあれは人災だったと
騒いでも、誰にも響かないでしょう。

震災の事実を隠す必要はありませんが、そのときの
つらさや悲しさを次世代に伝えることはあっても
その時のうらみや憎しみを次世代に引き継ぐことなど
あってはならないことです。
関東大震災で、日本人がそのどさくさで外国人を
虐殺したなどという話を、私は大学生の時に、大学で
その種の活動サークルから聞かされました。そして、その遺族への
賠償を政府に求める署名を強要されたことがあります。
私は拒否しましたが、大勢が署名していました。
そういったことがあったかも知れませんが、なかったかも
知れません。私たちにはその事実を確認するには、
資料に従うしかないからです。時がたては、双方に都合の良い資料と
悪い資料が必ず出てきます。私たちはどちらかに偏るのではなく、
双方を吟味することが仕事であって、それをジャッジして
何かを断罪したり、政治的思惑で賠償を請求するなど、
歴史の悪用にすぎません。歴史学はそんなことのために存在するのでは
ありません。
阪神大震災でもそれを知らない世代がさらに20年後に
こういった活動をしないことを願います。

震災を知らない世代は、そういうことがあったという事実だけを
受け止めて、その時の教訓だけを心に刻み、不幸にして
次が起こった時に、その教訓を活かすことができれば、
それ以上のことはないのではないかと思います。
震災を知らない世代がそれに拘束されることのない社会を作り、
その時代の負担を次世代に引き継がないのも、
震災を知っている世代の仕事だと考えています。


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株式会社コムニタス

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