前世代と次世代

井上博文

井上博文

テーマ:雑感

個人的なことですが、先日、叔父が亡くなり
昨日葬儀に出てきました。私が3歳くらいの時
餅をのどに詰めた時、口に手を突っ込んで
取ってくれた思いでがあり、他にも思い出されることが
たくさんあったのですが、久々にいとこや親戚が
集まり、どことなし笑顔もあり、変な言い方ですが
明るい葬儀でした。
「こんな時でなければ親戚一同集まることはないわな」
とは、喪主をつとめたいとこの中の長兄の言葉ですが
本当にその通りだと思いました。
親戚の中には、私の記憶にない人もあり、
「あんたおおきなったなぁ」
とこの年で言われ、さすがに苦笑しました。
でも、日本古来の葬儀や初七日、四十九日といった
葬送儀礼には、グリーフケアの役割があると言われますが、
それ以外にも、こうやって普段つながりのない血縁者との
縁をあらためて感じさせてもらえる場でもありました。
これも世を去って行く人の役割として重要なことなのだと
思います。こういうつながりを保っていくことは、
残された私たち次世代が、さらに次世代に紡いでいく役割で
あることは自覚しておかねばなりません。

その次世代は、私の親戚の中にもしっかり生まれており、
それこそ私が
「あんたおおきなったなぁ」
と言った子が数名いました。私がそう言わねばならない
時の移ろいに、つい諸行無常を感じてしまいますが、
半面、次の世代が葬儀の場でしっかり、自分たちの世代を
意識し始めている様子が見られ、葬儀とはそういった
自覚や成長を若者に促す場でもあると感じました。
喪主の長兄の長女は来年結婚するとの話もあり、さらに
次世代が見えてくる話もありました。

私たちは、日本人に限らず、いついかなる時代であっても
このような人の死と、次世代の息吹を繰り返して、
今に至っています。前世代が残したものをしっかり引き継ぎ
よりよいものにして、次世代にバトンタッチするという
よく考えれば当たり前のことが、今は希薄になってきています。
前世代よりも、次世代よりも自分自分自分自分自分・・・
こんな教育を少なくとも私は受けてきました。
今、そういった教育が破綻しかけています。自分だけのこと
しか考えない教育は限界を迎えています。前世代と次世代にも
思いを馳せることを考える余裕を生む教育が必要でしょう。
それが私たちの世代にできることだと思います。



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井上博文
専門家

井上博文(塾講師)

株式会社コムニタス

塾長以下、スタッフが、全ての生徒の状態を正確に把握している。生徒をよく観察し、成長度合、どのような不安や悩みを抱えているか、をしっかりと観察し、スタッフ間で情報共有をしている。

井上博文プロは京都新聞が厳正なる審査をした登録専門家です

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