龍谷ミュージアム

井上博文

井上博文

テーマ:雑感

西本願寺の堀川通りを隔てた東隣に
龍谷ミュージアムという仏教専門の
博物館があります。
http://museum.ryukoku.ac.jp/index.php







大学が博物館を持つことは増えてはきていますが、
大学が所有するいわゆるお宝文物を紹介することを
基本としているところが多いと思います。

龍谷ミュージアムは、そこだけにとどまらず、
国立博物館で展示されるような品がたくさん並び、
仏教専門の強みを発揮しています。

奈良の国立博物館では、例年、正倉院展が行われ、
宝物が展示され、驚くほどの行列ができます。
日本人の心に響くのでしょう。

京都も奈良に負けない歴史があります。
言わずと知れた平安京です。平安京以前は奈良に平城京として
都があったわけですが、聖武天皇が仏教を用いた国家経営システムを
採用しました。普通、時の権力者が自分の勢力の拡大を周囲に
知らしめるには軍隊を置き、抵抗勢力は武力で「鎮圧」します。
要するに殺すのです。
しかし、聖武天皇の時代、そうはせずに国分寺(国分尼寺)を
各地において、そこに公務員の僧侶を置くことで権力を
知らしめていったのです。よく考えたら画期的かつ、合理的です。
元から住む人々を殴って押さえつけたら、結果どうなるかは
世界中の歴史が教えてくれています。しかし、この国は
武力ではなく、そもそも非武装の仏教を使うことで、そして
その仏教が人々と国家の安寧を祈ることで、権力を拡大したのです。
最初に思いついた人(聖徳太子でしょうか?)は天才です。
そうして奈良を中心とした仏教文化ができるわけですが、
聖武天皇以後、官僚というのは、いつの時代も同じですが
乱れます。この時代官僚が乱れるということは、つまり僧侶が
乱れるということで、それはつまり奈良の仏教が乱れるということです。

時の桓武天皇は、784年に長岡京に遷都を決意するのですが、
この時、奈良の仏教を移築せずに、置き去りにします。
だから「南都」として残ることになります。そして794年に平安京に再度
遷都します。その時も奈良から仏教は呼ばずに京都で新しい仏教を
作ることを模索します。京都の寺は東寺と西寺を置くところから
始まり、人材発掘に力を注ぎます。それで遣唐使を25年ぶりに
復活させます。この時、運命の出会いとも言うべき、最澄、空海という
平安仏教二大スーパースターが同じ船団で唐に行ったとされています。
そして彼らが平安仏教の礎を築き、奈良と決別していくのです。

と、勢いに任せて長々と書きましたが、京都にも日本人の琴線に
触れるような仏教の歴史があり、その仏教を日本に留まらず、
インドの仏教から、中国、チベット、中央アジア、東南アジアなど
様々な地域に伝播した仏教を全部カバーするという、実はこれまでに
なかった斬新な作りになっています。
(といってもこれが斬新であるとは気付かれにくいかもしれません)

縁あって、このミュージアムを作った方々の情熱と真摯な仕事ぶりに
触れることがありました。純粋に良いものを提供しようとする姿は
プロフェッショナルそのものです。
是非とも京都の文化に根付いて欲しいものであり、多くのその展示物に
出会ってもらいたいと思った次第です。
時々、中味について紹介します。


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龍谷ミュージアム
http://museum.ryukoku.ac.jp/index.php

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井上博文
専門家

井上博文(塾講師)

株式会社コムニタス

塾長以下、スタッフが、全ての生徒の状態を正確に把握している。生徒をよく観察し、成長度合、どのような不安や悩みを抱えているか、をしっかりと観察し、スタッフ間で情報共有をしている。

井上博文プロは京都新聞が厳正なる審査をした登録専門家です

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