「何が問題かわからない」の恐ろしさ
以前にも資料に物語らせるという記事で書いたことがあるのですが、我々論文書きの仕事の大半は、資料をみることです。
資料の種類は学問の数以上にあり、無数と言ってもよいかもしれません。
むしろ我々自身の目を、何でも資料として見えるように鍛えておくことが必要です。
例えば仏教学という学問は、基本的には文献学ですので、膨大に残る仏教文献を
読むための語学力と読解力が要求されます。資料を扱えるようになるには、それぞれの
学問の枠にはめた訓練が必要です。その訓練を受けて身に付けた能力を専門能力と言います。
ある意味特殊技能です。例えば見たことがない古銭をたまたま見つけた場合、
それを知っていそうな人を探すと思います。それは、古銭の専門家か、お金の専門家か
あるいは考古学の専門家か、様々なを思い浮かべて、誰に聞くべきかを考えると思います。
我々は、そのような専門能力を獲得するために大学や大学院に行くのです。
だから、今の時代、大学に行っただけでは、人材とはみなされません。
また単に勉強がしたいから大学院に行くというのも少し違います。
専門能力を獲得して、資料が扱えるようになると、あとは自分で様々な資料を
獲得してくるのも仕事です。探検隊はその類です。探検隊は欲しい資料がある、
あるいはあると見込まれるなら、少々危険な地域でもそこに行くのです。
かつての日本にもそのような人々はたくさんいました。探検隊というのは
研究者でもあるのです。素人が行っても、価値のあるものとないものとの
区別がつかないこともあって、労力の無駄が多いのです。
収集物は素人目には、何の意味があるのかさっぱりわからないものが多いですが、
専門家からするとお宝になるわけです。専門家はそのお宝が物語ることが読み取れるから、
価値がわかるのです。分野は何でも構いません。私たちはその意味で専門家を
作ること重視しています。
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