力が発揮できないのは不安に負けているからです
不思議という言葉は字面では「思議しない」と書くので
よくわからないことを言葉にしてしまうと、本質を外す
ことを言います。しかし、実際運用されている意味合いは
「疑問に思う」くらいでしょうか。
京都では8月16日は五山送り火です。今年は被災地の
木を薪に使用するか否かで大きく報道され、様々な批判
(結局誰が誰を批判しているのかがさっぱりわかりませんが)
がなされたあと、結局放射性物質が検出されたことで
使用が中止されたことは記憶に新しいところです。
それでも賛否両論は半々だという報道を見ました。
これはある程度仕方ないと思います。我々は放射性物質について
無知なはずです。情報がないのですから、賛否が真っ二つでしょうし、
議論しても視点が多すぎてかみ合わないと思います。
私が学生のころには教科書から放射性物質については
削除されていたそうです。それだけ情報がないのです。
私が「不思議」に思うことは、雑誌記事などでもまことしやかに
「喫煙による発がんリスクよりもはるかに低い放射線被曝
のリスクの方をより心配してしまうのも私たち人間の特徴だ」
(中央公論9月号p.17)
なんてことを「経済学者」が言っていることです。
この経済学者は放射性物質のリスクを査定できるのしょうか?
なぜ喫煙よりもリスクが低いと言い切れるのでしょうか?
身をもって実験したのでしょうか?
それとも誰かの受け売りだけで適当にこんなことを発言したのでしょうか?
だとしたら経済どころか「学者」ではないようにも思いますが。
こういう輩が余計に風評被害を助長してしまうのだと思います。
別にこの経済学者だけに限ったことではなく、「専門外」からの
このような「安全宣言」がやたら多いことが不思議なのです。専門家は
国会でも「危険」を訴えて法整備をするように強く言っているのにも
関わらずです。もちろんいたずらに危険をあおるのも間違っています。
私たちは「わからない」はずなのですから。
原発事故が起きるまで「セシウム」「ミリシーベルト」なんて
誰が知っていたでしょうか?私も生まれて初めてでは
ないにせよ、記憶の片隅にもなく、ほぼ初めて聞く言葉でした。
私はこの「門外漢の安全宣言」が不思議でなりません。
放射性物質の名前さえ今も逐一知らない人が多いでしょうし、
人体で治験できるはずもないのですから、それがどの程度危険なのか、
少なくとも素人が知っているはずがないと思うのですが。
また原発事故で今この瞬間、どの放射性物質がどのくらいの量
撒き散らされているのか、知っている人はどのくらいいるのでしょう?
政府が知っているのかどうかさえも不明です。
中国で電車事故の証拠を隠蔽しようとしたと、日本の報道機関は
鬼の首をとったかのように言いますが、とてもじゃないけど、
他人のことをとやかく言える状況ではないでしょう。
まずは自らの行動や発言を正すべきです。
そんな状況であるにも関わらず、門外漢どもの無責任発言は不思議でなりません。
思議するに値しないようにも思いますが。
仮に門外漢が安全宣言するなら、少なくとも事故現場で数ヶ月暮らし、放射性物質の
検出されたものを食べ、数年後にどうなっているかをレポートして、
初めて聞く耳を持ってもらえる情報になると思います。
もちろんそれでも信用度は低いでしょうし、時間がかかりすぎて役にたちませんが。
それならボランティアに行った方が被災地の役にたつと思います。
無知な者が専門家気取りで分かりもしないことを根拠もなく言い切るのは
やめて欲しいと思います。そんなに言いたければ、自らの身体で実験をし続けて
数年後に言って欲しいものです。ただ、そんなことより、一日も早い根拠ある安全宣言を
被災地域の人々は願っているはずです。正しい情報開示と正確な知識、判断基準を
入手できる制度がすぐに必要なのです。
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