不倫慰謝料の分割払い・公正証書|滞納したときの強制執行リスク
この記事は、2026年10月時点の法令にもとづいて執筆しています。刑法の罰則は、2025年6月1日に施行された改正(懲役・禁錮を「拘禁刑」に一本化)を反映しています。民事の時効は、2020年4月1日に施行された改正民法(人の身体を害する不法行為についての特則)にもとづいています。
「付き合っている相手としか関係を持っていないのに、検査で性感染症が分かった。せめて治療費は払ってほしいが、請求してよいのか分からない」。反対に、「別れた相手から、性病をうつされたと言われて治療費と慰謝料を求められている。自分には症状もなかったのに」というご相談もあります。
性病をうつされた場合に損害賠償を請求できる可能性がある、という説明は誤りではありません。ただ、交際相手との間では、互いに相手以外との関係がないことを前提にしていることが多く、「どちらからうつったのか」「相手はうつすおそれに気づけたのか」という点で、思ったより話が単純に進まないことがあります。
この記事では、交際相手(恋人)から性感染症をうつされた場合に、請求が成り立つかどうかを分ける要素を整理します。風俗店の利用に伴う感染は性感染症をうつされた場合|請求できるのはどんな場合かで、中絶費用の負担は【男女トラブル】中絶費用は折半なのか|「おかしい」と感じたときの整理の仕方で扱っています。
請求できるかは「うつした」事実だけでは決まらない
損害賠償の根拠と4つの要件
交際相手に治療費や慰謝料を求める根拠は、不法行為にもとづく損害賠償です(民法709条、710条)。認められるには、次の4点がそろう必要があります。
- 相手に故意または過失があること。
- 身体の健康という権利が侵害されたこと。
- 治療費などの損害が生じたこと。
- 相手の行為と感染・損害との間に因果関係があること。
このうち、交際相手との間で争いになりやすいのは、故意・過失と因果関係です。感染した事実と損害は診断書や領収書で示せますが、「相手からうつった」ことと「相手がうつすおそれに気づけた」ことは、それぞれ別に示す必要があります。
相手の認識によって評価が分かれる
相手が感染についてどこまで認識していたかによって、評価はおおむね次のように分かれます。
| 相手の状況 | 評価の方向 |
|---|---|
| 感染していると知りながら、伝えずに性行為をした | 故意が問題になり、請求が認められやすい方向に働く |
| 診断は受けていないが、症状や他の相手との関係から感染のおそれに気づけた | 過失が問題になる |
| 症状がなく、感染のおそれをうかがわせる事情もなかった | 過失を示すのが難しくなる |
性感染症には、自覚症状が出にくいものもあります。相手自身が感染に気づいていなかった場合は、「気づくべきだった」といえる事情があるかどうかが分かれ目になります。たとえば、交際中に他の相手と関係を持っていた、医療機関で検査を勧められていた、といった事情は、過失を基礎づける方向の材料になりえます。
避妊具を使わないことに合意していた場合
交際中は、避妊具を使わないことを互いに了解している場合も少なくありません。ただ、その了解は互いに感染していないことを前提にしているのが通常で、相手が感染を知っていたのに伝えなかった場合にまで、感染のリスクを引き受けたとはいいにくいところです。反対に、相手から感染の可能性を伝えられたうえで関係を続けた場合は、請求が認められにくくなったり、過失相殺(民法722条2項)として金額が減ったりすることがあります。
交際相手だからこそ難しい「どちらからうつったのか」
「この人としか関係がない」は相手も言える
交際相手からうつされたと考える根拠として多いのが、「その人としか関係を持っていない」という事情です。もっとも、相手の側も同じ主張をすることがあり、その場合は「どちらが先に感染していたか」が問題になります。交際前の関係や、前回いつ検査を受けたかといった事情は、双方について問われることになります。
検査の時期と結果が因果関係の骨格になる
因果関係を示す材料として重視されやすいのは、次のようなものです。
- 交際を始める前後に受けた検査の時期と結果。
- 症状が出た時期と、医療機関で診断を受けた日。
- 相手と最後に関係を持った時期。
- 感染を伝えたときの相手の返答(「自分も症状があった」「前から治療していた」など)。
- 相手が交際中に他の人と関係を持っていたことをうかがわせるやり取り。
病気の種類ごとに潜伏期間の目安があるため、時期の記録は医師の説明と組み合わせることで意味を持ちます。受診の際に、感染の時期について医師がどう見ているかを確認しておくとよいでしょう。記録は「いつ検査し、いつ症状が出て、いつ関係があったか」という時系列でそろえておくと、後で整理しやすくなります。やり取りの残し方は男女トラブルの証拠の集め方|LINE・録音・写真を法的に有効にするで解説しています。
相手に検査を受けさせることはできない
相手に検査を受けてもらい、結果を見せてもらえれば話は早いのですが、検査や結果の開示を強制する手段はありません。医療機関には守秘義務があり、相手の受診記録を本人の同意なく取り寄せることも通常はできません。訴訟になれば、裁判所を通じて記録の送付を求める手続(民事訴訟法226条の文書送付嘱託)を使える場合がありますが、対象や必要性は事案ごとの検討になります。また、相手が検査を拒んだことだけで、相手が感染源だと認められるわけではありません。
請求できる損害の項目と金額の目安
請求の対象になるもの
感染によって生じた損害として請求の対象になるのは、主に次のものです。
- 検査費用・治療費・薬代。
- 通院のための交通費。
- 通院や療養のために仕事を休んだ分の収入(休業損害)。
- 精神的苦痛に対する慰謝料。
実費は領収書や明細で示すことになるため、受診のたびに保管しておくことが大切です。合併症などで治療が長引いた場合は、医師の診断書でその経過を示すことになります。
慰謝料の水準を示す裁判例
慰謝料の額は、病気の種類、治療の期間、後に残る影響、相手の認識の程度などで変わり、一律の相場はありません。参考になる裁判例として、婚活サイトで知り合った相手からクラミジアをうつされた事案で、感染についての慰謝料を30万円と認めたもの(東京地方裁判所平成28年6月29日判決)があります。治療で完治が見込める病気の場合、感染そのものに対する慰謝料は高額になりにくいと考えておくのが現実的で、交渉の出発点を考えるうえでも一つの目安になります。
交際のいきさつは別の項目として評価される
上の裁判例では、相手が既婚であることを隠して独身と偽り交際していたことについて、感染とは別に、性的な自由を侵害したとして40万円の慰謝料が認められ、弁護士費用7万円も加えられています(請求額は300万円とされています)。このように、感染についての責任と、交際の経緯そのものの違法性は、別々に検討されます。既婚を隠されていた場合の考え方は、既婚を隠されて妊娠|貞操権侵害の慰謝料はいくら請求できるや【男女トラブル・マッチングアプリ】プロフィールの嘘はどこから違法になるか|年収・職業・独身の詐称もご参照ください。
一方、相手が交際中に別の人と関係を持っていたこと(浮気)自体は、婚約や内縁の関係になければ、それだけで慰謝料の対象にはならないのが一般的です。この点は二股・浮気をされた恋人|交際関係で慰謝料は取れるのかで解説しています。浮気が感染の原因だった場合でも、請求の中心は「感染させたこと」になります。
刑事の責任|傷害罪と過失傷害罪
病気をうつす行為も「傷害」にあたりうる
傷害罪の「傷害」は、けがに限らず、人の生理的機能を害することを広く含みます。最高裁判所昭和27年6月6日判決は、性病に感染させるおそれを認識しながら性行為に及び、相手を感染させた事案で、傷害罪の成立を認めています。故意がある場合の法定刑は、15年以下の拘禁刑または50万円以下の罰金です(刑法204条)。
過失傷害罪は告訴がなければ起訴されない
故意まではないものの不注意があった場合は、過失傷害罪(刑法209条1項)が問題になり、法定刑は30万円以下の罰金または科料です。過失傷害罪は告訴がなければ起訴できない親告罪で(同条2項)、告訴は原則として犯人を知った日から6か月以内に行う必要があります(刑事訴訟法235条)。
刑事手続と民事の請求は分けて考える
実際には、合意のうえでの性行為による感染が刑事事件として扱われる例は多くありません。故意を示すには、相手が感染を知っていたことをうかがわせる具体的な材料が必要になるためです。刑事告訴は、民事の請求を有利に進めるための手段ではなく、別の判断として考える必要があります。告訴をしないことと引き換えに金銭を求めるような進め方は、後で問題にされるおそれがあります。
請求する前に気をつけたいこと
相手に伝えることは、治療のためにも必要
性感染症は、一方だけが治療しても、相手が治療を受けなければ再び感染することがあります。請求するかどうかとは別に、相手に感染を伝えて受診を促すことは、双方の健康のために意味があります。このとき、治療の話と請求の話を分けて伝えると、相手も事実を認めやすくなることがあります。伝えた内容と相手の返答は、後の資料にもなります。
周囲に話す・SNSに書くことのリスク
性感染症にかかったという情報は、きわめて私的な健康情報です。共通の友人や相手の職場に伝えたり、SNSに書き込んだりすると、たとえ事実であってもプライバシー侵害や名誉毀損として、こちらが責任を問われるおそれがあります。相手への請求は、相手本人に対して行うことが基本です。詳しくは私生活を暴露した|プライバシー侵害は犯罪になるのかをご覧ください。
「払わなければ知らせる」という言い方は避ける
請求に応じない相手に対し、「家族や会社に知らせる」「警察に行く」といった言葉を添えて支払いを迫ると、請求そのものに根拠があっても、恐喝として扱われるおそれがあります。考え方は「金を返せ」と強く迫った|正当な債権回収と恐喝の境界で整理しています。
時効は「知った時から5年」
人の身体を害する不法行為の損害賠償請求権は、損害と加害者を知った時から5年、行為の時から20年で時効にかかります(民法724条、724条の2)。一般的な不法行為の3年より長く定められています。感染の時期や診断を受けた日の記録は、時効の起算点を考えるうえでも意味を持ちます。他の請求との比較は男女トラブルの時効早見表|請求の種類別に何年で消えるかで確認できます。
よくあるご質問
相手が「自分も知らなかった」と言っている場合でも請求できますか
相手が感染を知らなかったとしても、他の相手との関係や症状など、感染のおそれに気づけた事情があれば過失が問題になります。そうした事情が見当たらない場合は請求が難しくなるため、話合いの中で治療費の負担を求めるなど、現実的な落としどころを探ることが多くなります。
話合いで治療費を払ってもらえることになりました。書面は必要ですか
金額、支払方法、支払期限のほか、この件について互いにそれ以上の請求をしないこと(清算条項)を書面にしておくと、後で話が蒸し返されにくくなります。治療が続いている場合は、清算の範囲をどこまでにするかに注意が必要です。書面の効力については【男女トラブル】交際相手との間で作った書面|『誓約書』『覚書』の効力で解説しています。
反対に、元交際相手から「うつされた」と請求されています。どうすればよいですか
故意・過失と因果関係を示す責任は、請求する側にあります。まずはご自身も検査を受け、結果と時期を記録しておくことが出発点になります。身に覚えのない請求や、治療費を大きく超える金額を求められている場合の見極め方は、「妊娠した」「病気になった」と請求されたら|妊娠詐欺・示談金詐欺の見極め方をご参照ください。
まとめ
- 交際相手への請求の根拠は不法行為で、故意・過失、権利侵害、損害、因果関係の4点が必要です(民法709条、710条)。
- 感染を知りながら伝えなかった場合は故意、感染のおそれに気づけた場合は過失が問題になり、知りようがなかった場合は請求が難しくなります。
- 互いに相手以外との関係がないと主張し合う場合は、検査の時期と結果、症状が出た時期が因果関係を判断する骨格になります。
- 請求の対象は検査・治療費、通院交通費、休業損害、慰謝料で、感染についての慰謝料を30万円とした裁判例があります。
- 既婚を隠していたなど交際の経緯に違法性がある場合は、感染とは別の項目として評価されます。
- 故意があれば傷害罪(刑法204条)、過失があれば過失傷害罪(同法209条)が問題になり、後者は告訴が必要です(同条2項、刑事訴訟法235条)。
- 時効は損害と加害者を知った時から5年で(民法724条の2)、周囲への暴露や「知らせる」と迫る請求は避ける必要があります。
弁護士法人若井綜合法律事務所では、男女間のトラブルに関するご相談を池袋と新橋の事務所でお受けしています。交際相手から性感染症をうつされ、治療費や慰謝料を請求できるか迷っている方は、検査や受診の記録、相手とのやり取りをお手元にご用意のうえ、ご相談ください。
反対に、元交際相手から「うつされた」として請求を受けている方も、応じる前にご相談いただければ、請求の根拠と金額が妥当かどうかを一緒に確認します。


