マナーうんちく話604≪武士は食わねど高楊枝≫
明治5年12月まで日本で使用されていた旧暦には「和風月名」があります。
月の表示を、今のように数字ではなく、その月にふさわしい漢字で表現するわけで、例えば1月は「睦月」、2月は「如月」、3月は「弥生」です。
睦月の意味は、正月早々喧嘩なんかしないで、男性も女性も、老いも若きも、みんな「仲睦ましくやっていこうよ」という意味です。
とても美しい言葉だと思います。
そして10月は「神無月」と呼ばれます。
語源については、いろいろな説がありますが、「神の月」と、「神が不在になる月」が有力です。
神の月という意味は、「無」は「・・・の」という意味ですから、「神無月」は「神の月」ということになります。
例えば6月の和風月名は「水無月」と呼ばれますが、いわゆる「水の月」です。
田植えをするので、田んぼに水を張る月というわけですね。
ただ、今では神無月の一般的な解釈は、神が不在になる月だと思います。
旧暦の10月は全国の神様が島根県の出雲大社に出張されて、会議を行います。
これを「神議り(かみはかり)」といいますが、大國主命(おおくにぬしのみこと)のもとで、縁結びや農業などについての話し合いが行われます。
全国各地では神様が不在になるので「神無月」になりますが、出雲地方だけは多くの神様が集うので「神在月(かみありつき)」と呼ばれます。
そして出雲地方では、神様をお迎えし、おもてなしをする様々な神事が行われます。
日本には、人の目に見えない神様を、裏表なく、誠心誠意、真心こめて「もてなしする」大変ユニークな文化が存在するということです。
この精神性は、正月行事や祭りなど、AI全盛の今でも脈々と受け継がれており、
その心は、世界が認める日本の「おもてなし」そのもので、日本人の粋な生き方を垣間見ることができる気がします。
日本の「おもてなし」について興味がある方は、ぜひ10月から11月にかけて出雲大社を訪れられては如何でしょうか・・・。
日本には、さらに神様と人が同じものを食す「神人共食(しんじんきょうしょく)」の文化があります。
これも大変ユニークな文化ですが、神と人の関係を深める意味があります。
様々な神事の際にはお供え物をしますが、神事が終われば、そのお供え物を下げ、神事に参加した者でいただくわけです。
正月のお節料理や祭りも同じ理屈です。
ちなみに神様とともに食事をする理由は、神様とよりつながりを深め、多くの願い事をかなえていただくためです。
子孫繁栄、健康長寿、五穀豊穣などなど・・・。
日本には「同じ釜の飯を食う」という言葉がありますが、同じ釜で炊いたご飯を、同じ空間で一緒に食べるということは、目に見えない神様と絆を深める、最も効率の良いコミュニケーションになると考えられていたのでしょう。
そういえば、令和の今でも、より仲良くなりたいと思う人に「そのうち食事でもいかがでしょうか」などといいますね。
同じ飲食物を共に味わうことで、ますます親密感を増し、絆を深まめるということです。
若い世代も、高齢者も1人暮らしが増えたことで「孤食」が社会問題になっていますが、こんな時だからこそ、いろいろな人と同じものをいただいて、繋がりを深めるということを大事にしたいものですね。
「和食」には、食前と食後に「いただきます」「ご馳走様」という感謝の言葉がありますが、これは食材の命をいただく意味とともに、同じ食べ物を食べてよりつながりを深めるという、素朴な願いが存在するということです。
和食がユネスコの無形文化遺産に登録された理由が頷けますが、このような文化が今、急激に薄らいでいく気がしてなりません。
時代がいかに大きく変化しようとも、みんなでともに食事をして、本当の意味で絆を深めていきたいものです。
《生きることは食べること》とはそういう意味かもしれませんね。
私が主催する和食のテーブルマナーでは、いつも、このような話をします。
10月は食欲の秋であり、豊作を感謝する祭りが多い月でもあります。
「食べる」という意味を、様々な視点で考えてみるのもお勧めです。


