マナーうんちく話521≪お心肥し≫
梅雨が明けて本格的な夏になった途端に風が熱気を運んでくるようになりました。
ところで四季が豊かな日本では、暑い季節や寒い季節に、遠く離れた人に健康を気遣う挨拶状を出す習慣があります。
二十四節気の小暑までに出す「梅雨見舞い」、小暑から立秋までに出す「暑中見舞い」、立秋以降に出す「残暑見舞い」などなど・・・。
相手の健康を気遣う、季節の挨拶状として発達してきた、日本ならではの大変温かみのある「しきたり」ですが、これらを含め、令和の今、日本のしきたりが敬遠される傾向が強くなってきたようです。
●令和の今「しきたり」を見直し再評価する理由
正月が来れば「あけましておめでとう」の挨拶をかわして雑煮を食し、節分になれば豆まきをして恵方巻をいただく。
桜が咲けば花見をして、母の日や父の日には家族でお祝いをする。
梅雨が明ければ世話になった人にお中元を贈る。
日本人の暮らしに息づく「しきたり」は、代々受け継がれてきた暮らしの知恵であり、日本人の心です。
しかし令和の今、AI万能になり、それに加え人口減少、核家族化、地域や家族における絆の希薄化、ライフスタイルの欧米化などを背景に、日本の美しい「しきたり」は、旧来の因習とか、古臭くて面倒な習慣とか、虚礼として敬遠される傾向が年々強くなっているようです。
本当にそうでしょうか?
過去にも触れましたが、「しきたり」は、私たちが祖先から受け継いできた大変重要な生活の知恵であり、貴重な文化財です。
むしろ無縁社会といわれる現在、人と人とのかかわりや、付き合い、さらに秩序ある社会を維持する生活の巧みな知恵として、受け止めることが大事だと考えます。
今回は改めて、「しきたり」の有する意味や役割を掘り下げ、令和の今、それが再評価されるべきかをシリーズで探っていきます。
●そもそも「しきたり」ってなに?
しきたりの語源は「仕来り」で、家庭や地域や会社や業界などで、昔からずっと「して来た」ことで、先例とか習慣ともいえるでしょう。
日本は四季が明確に分かれており、それが規則正しく推移する国であり、稲作を中心とした農耕文化で栄えた国であり、昔から自然と共生し、季節の変化を大事にしてきました。
そして一年の中で、日常とは違った特別な日である「ハレの日」を多く設け、日常の生活にメリハリをつけ、潤いを与えてきたわけです。
さらに誕生、七五三、入学・卒業、結婚、長寿など、人生の節目、節目に様々な行事を行い、成長を祝いつつも、神様や祖先に対し感謝するとともに、健康長寿、五穀豊穣、子孫繁栄を祈願してきました。
つまり「しきたり」とは、神様に感謝するとともに、祈願することと捉えてもいいと思います。
ただ「しきたり」は、法律のように明文化されたものではありません。
さらに、夏と暮れにお中元やお歳暮をやり取りしたり、めでたい時に赤飯を食べたり、結婚式の時に花嫁が白無垢を着たり、友引の日に葬儀を執り行なわないことについては、合理的な説明はできないと思います。
しかし、節目、節目でやるべきことを丁寧に行うことで、気持ちを改め、生活を安定させてきたわけです。


