マナーうんちく話535≪五風十雨≫
盂蘭盆会(うらぼんえ)と呼ばれるお盆は、一年に一度里帰りされるホトケ様(ご先祖様)をお迎えし、おもてなしして、お見送りする一連の行事です。
地域により多少異なりますが、今では月遅れの8月13日から16日まで、あるいは13日から15日までをお盆とする地域が多いようですね。
ところで人が死ぬと肉体は滅びますが「魂」はどうなるのでしょうか?
AI全盛の時代ですが、この事をAIが立証してくれるでしょうか。
まず無理なことで、あくまで想像するしかないでしょう。
そこで昔の人の考えを参考にしたいと思います。
現在のようなお盆の行事になったのは江戸時代からだといわれていますが、もともと日本では年に2回、ご先祖様の霊をお迎えし、真心こめておもてなしをして、また丁寧にお見送りする風習が存在していたようです。
仏教の影響を受ける前、つまりもっとも古くから日本に存在していた古神道は、特定の教祖や教団はなく、自然崇拝や祖先崇拝が主な内容で、人が亡くなると肉体から魂が遊離して精霊となって山を登っていくと捉えられていたようです。
その後仏教が伝来し、それに儒教も加味され、古代神道、仏教、儒教などが複雑多様に絡み合った、日本人独特の死後の世界観が生まれたのでしょう。
人が亡くなると、魂はまだこの世に未練があるので荒れています。荒魂(あらみたま)と呼びますが、最も荒れた状態の荒魂は「精霊」といいます。
精霊や荒魂は「ホトケ」とよばれますが、遺族が真心こめて供養することにより「和魂(にぎみたま)と呼ばれる霊魂になり、この霊魂が「カミ」です。
では具体的にどのくらいの期間かといえば、精霊や荒魂は亡くなって49日から1年くらいが最も荒れており、一周忌、3回忌などと供養し、33回忌を終える頃から50年くらい供養すれば荒魂は和魂、つまり「カミ」になられると考えられています。ホトケからカミになるまでには33年から50年くらいかかるということですね。
このように昔から、人が亡くなった後、一定の歳月が経過すれば先祖神になり、山中に修まるものと考えられていたようです。
「マナーうんちく話」でもたびたび登場した、「山の神」や「田の神」は、決まった時期に山から里に下りてこられ、子孫に健康や幸福を授けて下さるわけです。
だから村人たちは一生懸命精霊が和魂になられるよう供養し、祭祀を執り行ってきたのでしょう。
これが先祖供養の始まりです。
また、日本が世界に誇る「おもてなし」の原点はここにあると考えます。
我が家でもお盆になると、ホトケ様が迷わず帰られるよう迎え火を焚きます。
桔梗や女郎花やほおづきなどの盆花を活け、畑で採れた茄子と胡瓜で牛と馬を作ります。
この牛や馬は、ホトケ様が、あの世とこの世の往復するために使用されます。
胡瓜の馬は里帰りされるホトケ様に早くお会いしたいので、馬に乗って急いでお帰り下さいという意味です。
そして盆が終わって、再びあの世にお帰りの際は、名残り惜しいので牛に乗ってゆっくり、そしてお土産を沢山載せてお帰り下さいとの意味合いがあります。
またお盆といえば「盆踊り」がありますが、これは里帰りされたホトケ様を踊りで慰めるために行われます。この世で一日だけ踊りで思う存分に楽しんでいただくわけです。また生きている喜びや先祖への感謝を感じる目的もあるようです。
目に見えないご先祖様に対し、このように裏表なく、誠心誠意おもてなしをするのが日本のもてなしです。
このように「お盆」は先祖と共に過ごす日ですが、久しぶりに会う親族一同が集う時でもあります。
いずれにせよ、日常と異なった賑わいや静けさの中で、命の尊さを振り返る機会になればいいですね。
ちなみに盆という字は「分ける」と「皿」です。
家族みんなの喜びや悲しみを一同で分けて、心を一つにしたわけです。
すなわち親族や家族の絆を深めるということで、盆の存在意義はまさにここにあります。
次世代にもしっかり伝えたい素晴らしい文化です。