まなーうんちく話798《月々に 月見る月は 多けれど・・・。》
暦の上では一年で最も寒い時期を迎えていますが、中国では二十四節気の「小寒」から「穀雨」までの、「八つの節気」の「二十四候」の、それぞれの「候」ごとに、花が開くことを知らせる風が吹くとされていました。
これが日本に伝わり、色々な作詞などにもちいられてきましたが「二十四番花信風(にじゅうしばんかしんふう)」といいます。
大変風雅な呼び名ですね。
ちなみに「信」は便りの意味で、初春から初夏にかけて吹く「花が開くことを知らせてくれる風」という認識でいいと思います。
七十二候の内、初春から初夏にかけての二十四候の、各候ごとに、新たな風が吹くとされ、その風に対する花を当てたわけです。
昔の人はそれだけ春を迎える思いが強かったのでしょうね。
例えば小寒の時期は梅を咲かす風が吹き、やがて山茶花、水仙を咲かす風になり、そして大寒に入れば沈丁花の花を咲かす風が吹いてきます。
現在はとってつけたようにSDGsなんて、偉そうなことを言っていますが、昔の人は自然と真摯に向かい合い、豊かな生活を送っていたように思います。
当分は寒い風との付き合いが続きそうですが、寒くても美しい花を開かせる風だと思えば、心が温かくなるかもしれませんね。
そして1月11日は「鏡開き」の日です。
地域によっては15日や20日のところもあるようですが、一般的には鏡開きは松の内を過ぎた11日が多いようです。
ところでSDGsの影響でしょうか、最近ランドセルや制服など「おさがり」の物が見直されるようになりましたが、「鏡開き」はおさがりの典型的な例です。
鏡餅は歳神様が正月に里帰りされた際、鎮座するための特別な餅ですが、松の内を過ぎたら、無病息災を祈念して「おさがり」としていただく風習が鏡開きです。
つまり鏡餅はお供えして、期間が過ぎれば下げて、開いて、食すわけです。
「切る」や「割る」という表現は縁起が悪いので、末広がりを意味する「開く」という表現にしたのでしょう。
ちなみに餅はもともと「ハレの日」の特別な食べ物で、それが縁起物として正月に飾られるようになったといわれていますが、丸い形が家庭円満を表すといわれています。
満月に似せて丸くするという説もありますが、昔は鏡に神が宿ると考えられていたので丸くするという説が有力です。
また鏡餅をいただくことを「歯固め」と言いますが、硬い餅を噛んで歯を丈夫にして、健康長寿を神様にお願いするわけです。
また「鏡開き」には、歳神様にお供えした鏡餅を下げて食す鏡開きと、酒樽の蓋を割る儀式の鏡開きがあります。
私は長年ホテルの飲食部門で働いていたので、酒樽の蓋を割る鏡開きは多く経験しました。
では、なぜ酒の樽の蓋を開くのでしょうか?
酒屋では酒樽の蓋のことを鏡と呼んでいたので、その蓋(鏡)を開いて、酒を飲んで、神様の恩恵を賜るわけです。
日本は四季が豊かで、稲作を中心とした農耕文化で栄えた国ですから、昔から米は大変貴重品です。
酒は米で出来たとても神聖な飲み物だったわけで、その神聖な酒の入った酒樽の丸い蓋を「鏡」に見立てたわけです。
神様の恩恵を授かり幸せを願うのは「鏡餅の鏡開き」と同じですが、「酒樽の鏡開き」は主に、新しく何かを始める時の祝い事にお似合いです。
たとえば結婚披露宴、新築祝い、創立記念日などに適しています。
さらに酒樽の蓋「鏡」を開くことは、言い換えれば運を開くことであり、鏡開きの行事に参加した人たちへ、主催者から「お福分け」をすることにつながります。
またこの儀式は、乾杯の発声とセットで行うことが多いようですが、準備が大変です。
酒樽の縄を切り、コモもあらかじめ切っておく必要があります。
さらにパールのようなもので、ある程度蓋を開きやすくしてくことも大切です。
木槌には紅白のテープを巻くことも大事です。
蓋を開く人のために法被の用意もお忘れなく。
鏡割りの儀式は、あらかじめ選ばれた主賓格の人が数人前に出て、たる酒を囲み、紅白で巻かれた木槌を持ち、「いち、にい、さん」の掛け声とともに木槌で鏡を開きます。
そして参加者には乾杯用の酒が振舞われ、乾杯となるわけです。
私も数えきれないくらい鏡開きのシーンに立ち会わせていただきましたが、まさに喜びのシーンに相応しい演出です。
コロナのせいで当分は無理かもしれませんが、落ち着いたら、めでたい時の角立ちにぜひどうぞ。
酒には人と人を繋ぐ力もあるようですよ・・・。
米を蒸して、ついて、固めて作る「餅」も、米を醸造して作る「日本酒」も共通していることは、ただの米に比較して霊力が増しており、それをいただくことで幸運を引き寄せるわけです。
まさに日本の文化です。