マナーうんちく話2032《江戸の武士に学ぶ「感動を与えるもてなしの極意とは」。総力を結集したペリー艦隊のもてなし》

平松幹夫

平松幹夫

テーマ:訪問ともてなしのマナー

朝廷、公家、武家の先例に基づいた制度・法令・習慣・儀式などを「有職故実」といいますが、日本ではすでに平安時代中期には儀礼などの基本形が確立していました。

平安時代中期以降、宮廷の年中行事等では先例や作法に重きが置かれたわけですが、この傾向はのちの武家にも波及していきます。

そして中世以降になると、公家儀礼における「公家故実」と、武家儀礼における「武家故実」に分けられるようになり、江戸時代には忠臣蔵でおなじみの吉良家のような「高家」が登場してきます。

高家とは、「マナーうんちく話」でもすでに触れましたが、幕府の儀式や儀礼をつかさどるとともに勅使などを接待する、いわゆる諸礼式の専門家です。

また儒教の影響もあり、当時は礼節が重んじられ、特に城に勤務する武士にとっては場内において大変堅苦しい作法が求められたようです。
立ち居振る舞い、装い、言葉遣いなどなど・・・。

従って彼らにとっては作法こそ生活必需品であり、教養の代名詞になっていくわけで、長老が講師役になり家族にも教えたわけですね。

やがて礼儀作法は庶民にも普及し、「江戸しぐさ」のようなものが生まれたと思います。加えて元禄時代には今の生活雑誌のような「重宝記」が発行され、着物、髪型、化粧から結婚式のマナーや食事のマナーまでイラストを交え詳しく触れられています。

当時は身分制度もあり、権力や財力を有する武家の礼法が自己を飾り立てる要素が強かったのに対し、権力も富もない庶民のマナーは他者に対する思いやりを基調としています。

ちなみに「衣食足りて礼節を知る」という諺がありますが、江戸時代中期を過ぎると衣食住にもなんとか恵まれるようになります。

生活が落ち着いてくると、次に求めるものが教養ということで、内容は異なるものの、庶民も武士も礼儀作法に重きを置くようになり、この事がひいては諸外国と交流を図るときに功を奏すことになるわけですね。

ところで280年続いた江戸時代の最末期を幕末と表現しますが、日本にとって大事件が多発した時でもあります。

1853年に黒船が来航し、翌1854年にはペリー提督率いる黒船艦隊が「日米和親条約」締結のため横浜に上陸することになります。

これを機会に日本と黒船艦隊の間で、互いに接待したり、されたりするわけですが、このときに礼節をわきまえた武士や町人が力を発揮するわけです。

当時の江戸人は識字率も世界トップクラスで教養を備え、しかも平和な社会を築いていたので、世界に誇る多彩な文化を築いていました。

また幕末になると武家の経済力は後退し、材木屋、酒屋、油屋、薬屋、呉服屋、両替屋などの商人が勢力を伸ばし、新たな文化を主導するようになります。
ユネスコの無形文化遺産に登録されている「和食文化」が栄えた時でもありますね。

さてペリー艦隊へのもてなしですが、当時の幕府には文化や価値観が大きく異なる欧米人を接待する指南書は存在しません。

グローバルな場には「食卓外交」という言葉があり、正式な席ではフランス料理が基本になります。

18世紀のフランス文化が、当時最も洗練された素晴らしい文化だと認識されていたからでしょう。

しかしフランス料理での接待は無理だから、幕府は幕府御用達の会席料理店とタッグを組み、和食の最高峰である「本膳料理」でもてなしました。

1食7万円も8万円もする豪華な食事による官僚への過剰接待・違法接待が話題になりましたが、実はペリー艦隊を接待した時の、一人当たりの飲食代は約30万円といわれています。

献立にはタイやヒラメ、サザエ、車エビ、白魚、自然薯、山菜など最高級の素材を使用し、彩りや細工はとても丁寧です。

しかし味付けや盛り付けが、生食文化のない肉食系のアメリカ人の胃袋をどれだけ満足させたかは不安です。

しかも艦隊側のお客様は約300人、その一行を接待する日本側の役人は200人、合計500人分の素材集めは大変だったと思います。

エンジン付きの漁船も魚群探知機もない時代、あれだけの食材を揃え、それを調理したり、細工したり、配膳するのは大変な手間暇と労力が必要です。
膳や器集めだけでも大ごとです。

加えて百種にも及ぶ料理のサービスも大変神経を注ぐ必要があります。
日本酒や焼酎や味醂などの飲み物のサービスしかりでしょう。
通訳を介してとなればなおさらです。

それらを総合プロデュースした当時の奉行を始め、料理長や給仕頭はさぞかし大変だったことでしょう。


でも一生懸命になれば誠意は伝わります。
丁寧に作られた料理の数々、礼儀正しい給仕係り、接待役の優雅な所作、総じて大変見事な振る舞いに感動したペリー提督との交渉は、当初と異なりかなりフェアーな内容で締結したといわれています。

恐らく当時としては贅の限りを尽くしたもてなしだったと考えられます。

そうすることによって、相手の心をつかみ、無用な争いを避けることができます。
さらに日本の文化の良い宣伝にもなるでしょう。

時代が違うといわれればそれまでですが、見習う点が多いのではないでしょうか・・・。

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平松幹夫
専門家

平松幹夫(マナー講師)

人づくり・まちづくり・未来づくりプロジェクト ハッピーライフ創造塾

「マルチマナー講師」と「生きがいづくりのプロ」という二本柱の講演で大活躍。「心の豊かさ」を理念に、実践に即応した講演・講座・コラムを通じ、感動・感激・喜びを提供。豊かでハッピーな人生に好転させます。

平松幹夫プロは山陽新聞社が厳正なる審査をした登録専門家です

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