まなーうんちく話798《月々に 月見る月は 多けれど・・・。》
不思議なもので、今年はあれだけ大雨に見舞われたにもかかわらず、いざ梅雨が明け、気温が上昇してくると、体をクールダウンしてくれる水が恋しくなります。
人の体の7割は水で構成されているので、恐らく本能ではないでしょうか?
暑さから逃れて、心と体に安らぎを求め、清らかな水が湧き出ているところや、涼しいところに出かけたくなりますね。
今回は「避暑」「納涼」「暑気払い」などの意味に触れてみます。
「避暑」は暑さを避けるため、涼しいところに一時的に移動することですが、何となく金持ちのイメージが漂いますがいかがでしょうか・・・。
普通のサラリーマンが夏のうんざりするような暑さから逃避して、標高の高い場所や、海や、山に行き、ひと夏を過ごす計画はあまり聞きません。
一方「納涼(のうりょう)」は夏の暑さを避けるために、過ごしやすさを、いろいろ考えて作り出すことで、昔から老若男女問わず、誰でも工夫して味わっています。
涼しく感じる方法は実にいろいろありますが、納涼船、お化け大会、かき氷、金魚すくい、流しソーメン、浴衣、夕涼み、風鈴などが一般的です。
古くは平安貴族が別荘で夕涼みをしていたという記録があるようですが、つい数十年くらい前までは夕涼みはごく普通にみられました。
このように、納涼が暑さを収めて涼しさを味わうことに対して、「暑気払い」は暑ささを打ち払うことですが、本来の意味は、キュウリ、ナスビ、スイカなど体を冷やす効果のある食品をとることです。
ちなみに江戸時代には琵琶や桃の葉を煎じて飲んでいたようです。
また麦にも体を冷やす効果があるようで、いまでも麦茶は定番ですが、昔は平安貴族や高級武士の飲み物だったといわれています。
それが江戸時代になると庶民にも普及し、「麦湯店」が出現し、そこで「麦湯の女」が登場してくるわけです。
暑い夏の夜、風通しの良い橋の袂などで麦湯店を開き、浴衣姿の若い女性が麦湯のサービスを担当し、これが当時の若い男性に大うけしたのでしょう。
接客業の「おもてなし」の原点ではないかと思います。
また最近ではすっかりなじみになりましたが「甘酒」もあります。夏になると江戸の町に行商の甘酒売りが出現し、それが大人気だったとか・・・。
暑い時に生姜を絞った熱い甘酒を飲んで汗をかき、その状態で、風通しが良い橋の上を通れば涼しくなるので、最高の納涼と言えるのではないでしょうか。
麦茶は一杯80円、甘酒は120円くらいが相場だったようですが、江戸時代は今のように衛生状態がよろしくなく、生水には大変神経を使ったわけです。
さらに「夏祭り」という言葉がありますが、納涼や暑気払いと同じ意味でもいいと思います。
ただ本来の夏祭りの目的は、暑さを収め、暑さを追い払うことではなく、暑い時期に多発する疫病、水害、害虫を追い払うために開催されます。
人気の「金魚」は病気や災難を払う効果があり、縁起物として重宝されました。
ところで避暑に対して「疎開」という言葉もあります。
太平洋戦争末期の頃、日本の戦局はとても悪く、都会はアメリカ軍の空爆を受けるようになります。そこで、当時の子どもを空爆から守るために田舎に避難させ、お寺や公会堂で団体生活をさせるようになりますが、大変な苦労があったことでしょう。
いわゆる「学童疎開」です。
今コロナ禍で「納涼祭」や「夏祭り」ができないかもしれませんが、世界一といわれる安心安全な水道水にも恵まれ、食べ物も、空調設備にも恵まれています。
このような時代と、このような国に生まれたことに対して、感謝の気持ちを大切にしたいものですね。
そしてコロナ禍でできる自分流の納涼や暑気払いで、元気にお過ごしください。