マナーうんちく話453≪冬来りなば春遠からじ≫
時節柄、再度年賀状に触れておきます。
喪中葉書は「忌中」や「喪中」の概念をある程度理解し、自分なりに判断するのが望ましいと思いますが、年賀状は新年を祝う季節の挨拶状です。
また、日本は四季が明確に分かれているので、「寒中見舞い」や「暑中見舞い」など、季節の挨拶状にも色々な種類がありますが、年賀状は数ある年中行事の中でも特に正月に関連するとても大切な挨拶状です。
従って、それなりの形式がありますが、最近は「自分らしさ」「個性」「自由」が尊重される時代ですから、ユニークな内容も目立つようになりました。
いずれにせよ、これまでお世話になった「感謝の気持ち」と、相手の「幸せを祈る気持ち」を込めることが大切です。
最近はメールの普及やソーシャル・ネットワーキング・サービスの拡大により、そのスタイルも多種多様になりましたが、依然として年賀状の発行枚数は30億枚をキープしています。
アナログ人間の私はもちろん年賀状派です。
不細工ながらも、一人ひとりの顔を思い浮かべながら手間暇かけて書く方が、健康・活躍を祈る気持ちや感謝の心がより伝わると思うからです。
恐らく多くの人がこのような考え方をされていると思います。
それと、もう一つ大切な理由があります。
それは、日本が物質的に豊かで、平和な社会だという証しでもあるからです。
ちなみに、年賀状を投函し、それが元旦に正確に届くために必要な条件は沢山ありますが、どんな条件が必要だと思いますか?
様々な条件をクリアしなければいけません。
先ず年賀状が入手できること。
その葉書に文字が書けること。
書いた葉書を投函でき、それをキチンと配達する郵便制度が確立している事。その制度が十分機能している事等などです。
日本ではすっかり当たり前になっていますが、葉書きが手に入らない人や、文字が書けない人も世界中には数えきれないくらい存在します。
今テロが大きな話題を投げかけていますが、このような事態に直面すれば、悠長に新年のあいさつを交わす余裕はありません。
実は日本でもこのような時代があったわけです。
明治になると郵便制度の発達で年賀状は目覚ましい発達を遂げますが、同時に戦争を経験するようになります。
世界大戦に参入する頃には、葉書そのものが手に入らなくなり、当時の郵便局でも年賀状の自粛ムードが高まります。
今では考えられないことです。
特に昭和13年(1938年)の国家総動員法の成立以来、ますますこの傾向に拍車がかかり、当時の郵便局には「年賀状はよしましょう」というポスターが掲載されるようになったそうです。
そして終戦直後の正月には、年賀状はもはやどこの家庭にも届かなかったのではないでしょうか。
後で触れますが年賀状は1000年もの長い間に、日本の大衆が思いやりの心で自ら築きあげた素晴らしい文化で、平和な時代の象徴だと言えます。
こんな時代だからこそ、そのありがたさをかみしめ、思いやりの心を失わない文化を次世代まで継承したいものです。
次回は年賀状の腕試しです。
是非挑戦してみて下さい。