マナーうんちく話535≪五風十雨≫
世界屈指の美しさを誇る日本の四季。
その代表が秋の紅葉ではないでしょうか?
「山装う頃」と表現されるように、赤や黄色にお化粧した木々は、周囲の景色に、より一層の彩りを添えてくれます。
しかし、美人薄命と申しますか、その期間は儚いくらい短いもので、厳しい冬に向かう4週間くらいでしょうか・・・。
日本の秋を十分堪能したら、早速冬支度が待っているということですね。
紅葉前線が終わりを告げ、北の国から「雪だより」が聞こえて来るようになりましたが、11月23日は二十四節季の一つ「小雪(しょうせつ)」です。
11月8日の「立冬」から数えて15日後になります。
空気が一段と冷え込み、木枯らしに吹かれて木の葉が散り、本格的な冬がやってくる頃で、炬燵やストーブが恋しくなる頃ですね。
同じ「小雪」でも、「こゆき」と読めば気象用語になります。
数時間降っても1mmに満たない、少し降る雪の意味で使用されます。
いずれにせよ、あまり大雪にはならないけど、雪が降る位寒くなることにはかわりありません。
ちなみに、その冬の最初に降った雪は、その年の「初雪」と呼ばれます。
また、旧暦10月は「小春」と呼ばれますが、「小春日和」と言う言葉をご存知でしょうか?
旧暦10月は、新暦では11月から12月の始め頃になりますが、今までの寒さが一変して、温かい日差しに恵まれ陽気になる時のことです。
冬なのに「小春」と表現するのはこのためです。
ところで、11月19日はボージョレー・ヌーボの解禁日でしたが、この日は、亥の月、亥の日でしたから「炬燵開き」をされた人もいるかもしれませんね。
旧暦の亥の月は今のほぼ11月になるので、11月の亥の日に炬燵を出すわけですが、小雪の頃でタイミングもいいようですね。
ただ、江戸時代には、衣替えにせよ、正月の事始めにせよ、決まった日に決まった事をするのが武士も町人も習わしだったようです。
「一同右に倣え」ですから、今のように「自分らしさ」「自由」「個性」が尊重される時代とはかなり様子が異なっていたわけです。
しかし、「炬燵開き」だけは、士農工商の身分制度の元、武家社会と庶民社会では異なります。
武士は亥の月の最初の亥の日に炬燵を出しますが、庶民は2番目の亥の日になり、それだけ遅くなります。
つまり庶民は武士より、しばらくの間、寒さに耐えなければいけなかったということです。倹約が求められたのでしょうね。
そしてなぜ亥の日なのか?と言えば、当時「猪は火難に打ち勝つ」という信仰があり、この日に炬燵を出すことにより、火事から守るというおまじないにしたわけですね。
今のように電気やガスが無い時代のことですから、炬燵は炭を使用していましたが、なんとなくほのぼのと温かい感じがしそうです。
当時の人は、そんな炬燵を囲んでどんな会話をしていたのでしょうか・・・。
11月22日は「良い夫婦」の日です。
炬燵を囲んで団らんの一時をお過ごしください。
そして11月23日は「勤労感謝」の日ですが、本