マナーうんちく話516≪袖触れ合うも多生の縁≫
最近ではあまり見かけなくなりましたが「白粉花(オシロイ花)」が旬を迎えています。
江戸時代に日本にやって来た観賞用の花ですが、黒い種をつぶすと白粉がでてくるので、それを子どもが使ってお化粧ごっこをしたのが名前の由来とされています。
お化粧の起源は古く、古代人は赤土を使用していたようですが、江戸時代になるとお化粧もかなり進歩し、ヘチマの化粧水、紅花の口紅、椿油等が登場し美しさに磨きがかかってきます。
江戸時代も今も、女性にとってヘアースタイルと共にお化粧は、重大な関心事だったわけですね。
但し、今のように既製品に頼るより、手造りが多いかったようです。
では、心の美しさの追求はどうだったのでしょうか?
「衣食足りて礼節を知る」と言う言葉があります。
人は、衣食住の基本的生活が安定し、社会的地位が上昇すれば、次に求めるのは知性や教養になります。
そして戦いが無くなり、平和な社会が確立すると文化が発展します。
江戸時代の文化は、中世の仏教芸術のように高尚とは言えないかも知れませんが、それだからこそ、一部の特権階級の人のみならず、一般大衆へと普及していくわけです。
また、今のように平等な社会ではなく、士農工商と言う身分制度があったせいで、文化も身分により大きく異なってきます。
公家、武士、商人により、着るもの、食べるもの、住まいも変わると言うことです。
そして礼儀作法しかりです。
つまり、江戸時代は同じ礼儀作法でも、武士と商人では価値観や内容もかなり異なるということです。
武士、武士の妻、商人、一般庶民男性、一般庶民女性等それぞれの立場の礼儀作法に触れていきます。
次回に続きます。