まなーうんちく話798《月々に 月見る月は 多けれど・・・。》
晩夏の季語に「夏尽きる」「ゆく夏」「夏の果て」等がありますが、夏の厳しい暑さが失せ始める頃に咲く花にも格別の趣があります。
「朝露に濡れて咲く」といわれる朝顔にとって、良い雨が降りました。
朝顔は遣唐使が薬草として日本に持ち帰りましたが、江戸時代になると観賞花として親しまれるようになります。
今でも小学校で育てるので、大人も子供にもなじみが深いわけですね。
朝に咲いたかと思うと、昼にはしぼんでしまうので、「儚い恋」という花言葉が付けられています。
加えて、蔓が色々なモノにしっかり絡まるので「固い絆」という花言葉を有します。
《朝顔に 釣瓶とられて もらい水》加賀千代女(かがのちよじょ)
多くの方がご存知の句ではないでしょうか?
朝顔の蔓が釣瓶にまきついた。
折角巻きついているのだから、取り除いたら可愛そうだ。
しかし水が汲めないので、結局隣からもらい水をした、と言う意味でしょうか。
ちなみに「釣瓶(つるべ)」とは、井戸についている水を汲むための紐や桶のことです。
この句は江戸時代の女流俳人の有名な句ですが、正岡子規は酷評したと言われています。
俳句の天才のような人の強い論評には、それを正当化する力がありますが、私のような素人には、作者の優しい心根が伝わってきそうで、当時の情緒を偲ぶことが出来そうな気分になります。
如何でしょうか?
江戸時代になると国内から戦が絶えました。
そして200年以上政権が持続し、平和な社会になったから、花を観賞する感性が芽生えたのではないでしょうか?
何時までも大切にしたいものです。
「思いやりの心」を根底に置いた「和の礼儀作法」しかりです。
さらに、江戸時代になると「植木鉢」が登場し、植木鉢で好きな場所で花を観賞できるようになるわけですね。
朝顔に釣瓶とられてもらい水は、猛暑の中の、まさに心安らぐ句だと思うわけです。
これから一斉に朝顔が咲きます。
青々しく清らかに咲いた朝顔を見かけられたら、是非この句を思い浮かべて下さい。
そして残り少なくなった夏の夜は、浴衣を着ての外出も多い時ですが、浴衣はもともと、風呂に入る時や、入った後で着る、単衣(ひとえぎぬ)のことでした。
風呂は日本人が「お持て成し」としても大変重宝していたのですが、平安時代の頃は今のように湯船につかるのではなく、蒸し風呂のような物で、水きりの良い麻が使用されていたようです。
それが江戸時代になると、湯船につかるようになったので、浴衣を着てはいることがなくなり、素材も麻から綿に替わります。
従って浴衣も、平安時代からの歴史を有していますが、浴衣を着て外出するようになったのは最近です。
浴衣を着ても良いシーンか否か、キチンと見極め、夏の終わりをお楽しみください。