1日1分!女子力向上マナー5≪女性らしい美しい挨拶≫
【明治時代の女性教育と良妻賢母】
江戸後期から明治維新後に日本を訪れた欧米人の多くは、貧しくも、凛とした主体制を堅持し礼節に富んだ日本人を褒め称えています。
そして、当時から日本人女性の美しさを表現した諺は多く存在します。
「いずれ菖蒲か杜若」「大和撫子」「立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿はユリの花」等など・・・。
着物を着て、畳に正座し、おもむろに立ち、物静かに歩く姿、つまり「日本人独特の美しい立ち居振る舞い」は欧米のセレブと言え、真似のできない美しさではないでしょうか?
現代生活にはなじまないとか、堅苦しいとか、窮屈と言われるかもしれませんが、全く逆です。
何事においても美しい姿勢を保つことは振舞いの基本です。
正座しかりです。
江戸時代になると、それまで戦で明け暮れた生活から平穏な暮らしを謳歌することが出来るようになってきます。
加えて、板の間から畳が普及してきます。
だから、主従関係においても、主人に敬意や服従心を表現するために正座が一般的になり、やがて明治になると新政府は正座を奨励します。
そして、明治新政府の大きな功績の一つに学校教育があげられますが、従来軽視されがちであった女性の教育にも力を注いでいます。
ただ、今のように男女共学とはいかなかったようです。
以前にも触れましたが、「男女七歳にして席を同じうせず」です。
たとえ幼い子であっても、年齢が七歳になれば男性と女性の性の違いを意識させ、同じ場所に座らせてはいけないと言う意味です。
この後に「食を共にせず」と続くので、食事も別々にとると言うのが当時の倫理観だったのでしょうね。
また、その頃の文部省は結婚して「良妻賢母」になることを推奨していたようです。世の中がそんな発想だったので頷けます。
従来に比べれば女性教育は飛躍的に進歩し、女性の地位向上に大きく貢献したとはいえ、今のように、一人ひとりの女性の個性を伸ばし、社会に進出すべしという考えには至らなかったわけです。
このような背景のもと、女学校が各地に設立されます。
公立も有れば私立もありますが、いずれも「大和撫子」的女性像を描いていたようです。
今ではなじみの薄い言葉ですが、大和撫子(やまとなでしこ)とは明確な定義はありませんが、清楚で上品で、一歩下がって男性を立てるような女性だったのではないかと思います。
そこで求められるものが「品格」です。
余談事ですが、6月11日は雑節のひとつ「入梅」です。
農業に携わる人にとって「二十四節季」や「五節句」はその目安になるのでとても大切な暦ですが、それだけでは不十分です。
だからより正確に季節の移り変わりを把握するために、補助的に作られた日本独特の暦が雑節ですが、節分、彼岸、八十八夜等と同じように立春が基準になります。
品格のある女性は、自国の作法や文化に精通することが大切です。
次回に続きます。