まなーうんちく話798《月々に 月見る月は 多けれど・・・。》
「生きることは食べること」ですが、米を主食にしている日本人にとって、肉体を維持して「命の根」になるのは米ではないでしょうか?
そして神道においても米は信仰の象徴でもあります。
ちなみに日本に神社がいくつあって「氏子」が何人存在するかご存知でしょうか?
神社は約81000社で、氏子は約1億人だと言われています。
昔から、日本人の心の依りどこりで有った神社ですが、その関係性は希薄になってしまい、コンビニより多く有りながら、遠い存在になってしまいましたね。
加えて、正月の初詣には神社に足を運ぶけど、多くの人は信者であると認識してないかもしれません。
しかし、神道は日本固有の宗教で、多様な思想や哲学などを培ってきたと共に、稲作や年中行事や神話と非常に関わりが深いのは事実でしょう。
例えば、神様が里がえりされる正月の正月飾りに、稲穂が様々な場面において使用されているのもそうですが、日本人は米を特別な存在として扱ってきたわけです。
「お月見」に芒(すすき)をお供えしますが、芒がイネ科の植物だからという説もあります。
また、江戸時代の武士が米で給料をもらったり、年貢を米で支払ったりして経済的意味合いはかなり強かったことは確かです。
しかし、米を先人達が特別扱いしたのは単なる経済的価値のみではありません。精神的な意味合いも強かったことは容易に想像付きます。
収穫して、食卓で頂く米のご飯に、特別の有り難さや尊さが感じられるのはそのためです。
だからこそ、これに相応しい食べ方が生まれたのではないでしょうか?
和食のテーブルマナーは奥が深いわけです。
長い間ホテルで接客の仕事をして、色々な経験をしました。
素晴らしい仲間・上司・お客様に恵まれ、いい思い出も多々あります。
しかし時には理不尽な思いをしたこともあります。
自分自身には非はないけど、頭を下げなければならないこともしかりです。
そんな時でも、全てお客様のせいにせず、「どこか自分にスキがあったのでは?」「お客様にカン違いさせるような言動は無かった?」等をじっくり考えてみることにより、人格が発達してきます。
勿論「正しいことは正しい」、「間違いは間違い」だと自己主張することも大切です。
しかし、時と場合によります。
何時でも謙虚になることが大切ですね。
「神人共食箸」は柳の木で作られる場合が多いので「柳箸」とも言いますが、柳の木が丈夫であるという意味の他に、雨にも風にも雪にも柔軟に対応できることもあります。柳の木ように「謙虚になれ」という教えです。
和食のマナーは「箸に始まり箸に終わる」と言いますが、箸は「人生の杖」です。生まれて間もない頃に、子どもが一生食べ物に不自由せぬように「箸始め」の儀式があります。
そこから日本人は死ぬまで、箸との付き合いが生まれますが、亡くなった時、火葬した後の骨も箸で拾います。この世とあの世の橋渡しです。
何か嫌な事や困った事が有れば、とかく人のせいにしたがりですが、このような時こそ謙虚になるのもお勧めです。
年輪を重ねるとはそういう事です
米を主食にしている人には、謙虚と感謝の気持ちがお似合いだと思うわけです。