まなーうんちく話798《月々に 月見る月は 多けれど・・・。》
昔は雨水を過ぎると、そろそろ農耕の準備に取り掛かる頃とされていました。
この時期になると、ようやく大地が目覚めて来ると言うことですね。
大地も、人と同じように脈打つ命を有し、それが目覚めて来るわけです。
雪が解けた水や、雨で土が湿ってできる大地のぬかるみを「春泥(しゅんでい)」といいますが、都界暮らしの人は、あまり実感することはないと思います。
しかし、実はその大地こそが、様々な生命を育んでいるわけです。
地球上で生活する以上、忘れないようにしたいものです。
また、この時期の季語に「かわうそを祭る」と言う言葉があります。
かわうそは既に絶滅種になっているので、見かけることはありませんが、もとは全国各地に生息していました。
魚を取るのが大変上手で、ラッコのように愛嬌がありますが、捕った魚をすぐに食べずに、岸に並べる習性がありました。
それが転じて、書物をたくさん並べて、勉強したり、調べ物をする人の例えに使用されています。
皆様方の周りに、そのような人はいませんか?
さらにこの時期の旬の行事として、昔は「お伊勢参り」がありました。
江戸時代になると、ある程度生活が楽になり、庶民の間でも、伊勢神宮への参拝が可能になってきたようですね。
この頃になると米の収穫量が増え、それを売って現金が手に入るようになったお陰で、農民でも旅が出来るようになったわけです。
それに、幕府もお伊勢参りには理解があったからだと言われています。
個人がむやみやたらに旅に出るのが難しかった時代ですが、お伊勢参りだけは特別で、比較的スムーズに道中手形が発行されたのでしょうね。
ちなみに、お伊勢参りは1830年頃がピークで、年間約450万人が参拝したと言われています。
当時の人口は2500万人くらいとされていますから、実に5人に1人の割合になりますね。
なぜ、そんなに人気があったのでしょうか?
ひとえに、極楽浄土に行きたい!
現在生かされていることに感謝したい!
などと言う信仰心と、豊作祈願があったと思われます。
伊勢神宮の御祭神は天照大神(あまてらすおおみかみ)で、この神様は稲作と深く関わりの在る農耕神でもあります。
やがて、旅の目的も、来世の救済から、次第に現世の利益になり、それに観光気分も高まってきたわけです。
旅を通じて見聞を高めたい気分になったのでしょうね。
次回に続きます。