まなーうんちく話798《月々に 月見る月は 多けれど・・・。》
冬将軍が頻繁に訪れ、水たまりにも分厚い氷が張り、天気予報でも最低気温が報じられる大寒の頃であります。
そして、日常の挨拶が「寒いですね」になっていますが、日照時間は日に日に長くなり、季節は確実に春へとなびいていく頃でもあります。
ところで、季節が移ろうということは、日常生活の中で、ほんの些細な事の中に、新しい季節の到来を気付くことかもしれませんね。
雪の中から、ちょこっと芽を出した蕗の薹を見た時。
朝、鳥のさえずりで目が覚めた時。
雨上がりに七色の虹を見つめる時。
木枯らしに舞い散る枯れ葉を眺める時等など・・・。
日本は世界屈指の四季が美しい国ですが、さらに一年を24に分けた「二十四節季」と、72に分けた「七十二候」があり、先人たちは自然と仲良く共生し、季節の移ろいを敏感に感じ取っていました。
さらに、自然に感謝と畏敬の念を持ち、旬の物を食し、風流や歳時記を楽しみ、様々な年中行事に願いを託してきました。
このように暦の中での四季は情緒豊かにゆっくりと移ろうのに対し、現実では雨や風や雪も繊細さが無くなり、自然の猛威に恐怖感さえ覚えます。
特に、ここ数年、異常気象による大雨、大風、大雪の被害が後を絶ちません。
また、日本は物質的な豊かさや利便性を謳歌していますが、心は豊かではなく、幸福度は決して高くありません。
そればかりか、家族や地域や職場における絆はすっかり希薄化し、「無縁社会」と言う言葉がまかり通る社会になりました。
それにつれて、「孤独死」とか「無縁仏」というキーワードがすっかり定着してきた感がぬぐえません。
このような状況下において、いにしえの人々が大切にしてきた年中行事の理念やしきたりは、心が病んだ現代人の身も心も優しく包んでくれそうな気がしますが、如何でしょうか。
古き良き時代の生活の知恵を見直し、現代流の新しいしきたりの良さを上手に融合させる必要があるかもしれません。
危機管理的要素と社交性に富んだ洋食のマナーに、思いやりの心と美しさを兼ね備えた和食のマナーを加味させるようなものです。
加えて、今こそ自然に寄り添い、自然を理解し、共生していた頃を振り返る時かもしれませんね。
もともと、四季が明確に分かれている日本では、明治になるまで、人々は長い間、草木、花、昆虫や鳥や動物、気候などの自然の移ろいを繊細に表現した旧暦の世界で暮らしてきました。
だから、物質的には貧しくても、草花のささやかな息吹や、虫や鳥の鳴き声、雨や雪の降り方、風の吹き方、雲の形、月や太陽の様子に至るまでの、自然の営みに感謝と畏敬の念を持つと共に、季節を慈しむ喜びに満ちていたのではないでしょうか。
考えてみれば、これほど合理的な暮らしは他には見当たりません。
科学が発達した今、科学の力で自然を思いのまま左右しようという試みも必要な事かもしれませんが、本来ある姿を見失っては元も子もなくなると考えます。
今一度、先人のような謙虚な気持ちで、自然をよく知り、自然を尊び、その恵みに感謝する気持ちが大切ではないでしょうか?
そんな気持ちになることで、今まで感じる事が無かった事が感じられ、見えなかったものが見え、一日一日が輝いてくると思います。
梅のつぼみもほころび始めたら、間もなく立春で、一年の始まりです。
旧暦の良さを見直し、旧暦をもっと楽しんでみるのもお勧めです。
旧暦の暮らしは心を豊かにしてくれます。