マナーうんちく話453≪冬来りなば春遠からじ≫
9月16日(月)、今日は「敬老の日」です。
日本は世界的にも祝日が多い国で、その都度、各地で多彩なイベントが繰り広げられたり、それにちなんだ商戦が派手に展開されていますが、本来の意味や由来を正しく理解して、自分なりの行動をとることも大切だと考えます。
敬老の日は、国民の祝日に関する法律によれば、「多年に渡り社会につくしてきた高齢者を敬愛し、長寿を祝う」意味が有ります。
高齢者を敬い、長寿を喜ぶ日ですが、高齢者の福祉にも関心を深める日です。
人が年を重ねる、即ち次第に老いていくことに敬意を表することは、言い方を変えれば、生きて行くことへの敬意ですから大変素晴らしいことですね。
また、日本では昔から高齢者を敬う文化が有り、敬老の日の由来や歴史も非常に古く、聖徳太子にまで遡ると言われており、593年9月15日に、身寄りのない老人や病人のために聖徳太子が建てた「悲田院(ひでんいん)」が起源だそうです。
従って、以前は敬老の日は9月15日だったわけですが、現在は9月の第3月曜日になっています。さらに「敬老の日」という名称に落ち着くまでは、長い期間を要し、最初は「年寄りの日」で、次に「老人の日」になり、現在の「敬老の日」になりました。
名前はともかくとして、「こどもの日」「母の日」「父の日」もあるわけですから、子どもは高齢者を敬い、高齢者は子供を慈しむという相互関係が理想ですね。すなわち、互いに相手を思いやる精神が大切で、これはマナーの根源をなすものです。
ところで、私たちは日常生活で「冠婚葬祭」と言う言葉を、耳にしたり口にしたりしますが、冠婚葬祭の「冠」は、元服の時に冠を被る「加冠の儀」のことで、現在では誕生から長寿の祝い全般を含みます。
今回は、敬老の日にちなみ「長寿の祝い」に触れておきます。
長寿の祝いは「年祝い」「賀寿」と呼ばれ、昔から人生におけるとても大切な祝い事として、現在まで脈々と受け継がれております。
昔は「数え年」で行われていましたが、現在では「満年齢」でも行われています。個人的には「数え年」の方が理にかなっていると思います。
理由は、「マナーうんちく話《満年齢と数え年》」を参考にして下さい。
長寿の祝いは一般的には「還暦」から行われていましたが、今は長寿社会になり、高齢者の概念も65歳になりましたので、70歳から行う場合もあるようです。当事者や周囲の人で決められたらよいでしょう。
「還暦」は十二支、つまり干支(えと)が一巡し、「赤ちゃんに戻る」と言う意味が有ります。「赤いちゃんちゃんこ」や「赤い頭巾」を贈りますが、赤には魔よけの力が有るとされています。
そして、平均寿命の短い時には70歳まで生きるのは非常に稀だったので、杜甫の詩の一説にある、「人生七十、古来稀なり」に由来し、70歳は「古稀(こき)」と表現します。77歳は「喜寿」ですが、これは七を重ねたら「喜ぶ」という漢字になるからです。
80歳は「傘寿(さんじゅ)」で、「傘」の略字が八〇に見えることと、末広の意味からこの名が生まれた。昔は、40歳になると初老の域なり、80はその二倍ですから思い意味が有りました。ちなみに、今の日本人男性の平均寿命は80歳です。
88歳は「米寿」ですが、これは「米」の漢字を分解すると八と十と八になるからです。日本人女性の平均寿命は現在86歳ですから、もうひと頑張りです。
90歳は「卒寿(そつジュ)」で、これは「卒」の略字が「卆」で九十と読めるからです。さらに99歳は「白寿」で、これは百から一を引いたら「白」になるからです。そして、いよいよ100歳の「百寿」になり、これ以後は毎年お祝いをします。
人間は、産まれて死ぬまで、色々な節目を迎えます。
そうした様々な節目を、家族・親族・親しい人が一堂に会し、共に喜びを分かち合うのが「通過儀礼」です。
平和で物質的な豊かさを誇る日本では、祝日には、商業主義優先で、祝い品が飛び交いますが、この通過儀礼を通じ、命の尊さや生きるという意味や喜び、さらに、伴侶・家族・親族・地域・友人等との絆の重みを再確認することが大切ではないでしょうか。