マナーうんちく話535≪五風十雨≫
正月は、一年で最も寒い時期なのに、年賀状では「初春」とか「新春」とかのように、「春」の字が使用される事を、おかしいとは思いませんか?
その理由は、昔は「旧暦」だったので、今の「節分」、すなわち「立春」の頃が正月だったからです。
だから、今でも立春が一年の起点になっているケースが多々あります。
例えば、新茶を摘む「八十八夜」は、立春から数えて88日目で、台風の被害が懸念される「二百十日」も、立春から数えて210日目です。
ところで、「旧暦」と言えば大変古めかしい気がしますが、そんなに遠い昔のことではなく、以前にも触れましたが、日本で暦が、現在使用されている「新暦」に変わったのは、明治5年からです。
長年慣れ親しんだ旧暦をなぜ変えたかと言えば、日本は明治維新後、欧米諸国と、国交をスムーズに行う必要が生じ、そのためには、暦も西洋の暦に合わせたほうが何かと便利がよかったからです。
ちなみに、明治以前は中国や朝鮮半島の影響を多分に受けていましたが、明治以降は欧米諸国の影響が断然強くなりました。
具体的には、挨拶も欧米の握手が取り入れられました。
さらに西洋医学、洋食、洋楽、洋服を始め、法律や技術等も欧米を見習っています。
マナーやエチケットの概念が、イギリス・アメリカ、フランスから入ったのもこの頃ですね、
しかし、衣食住全てが、急激に変化したわけではありません。
何千年もの長い間、日本の地に根差した文化やしきたりは、そう簡単には変わらず、新旧が入り乱れていた時代がしばらく続きます。
暦もしかりです。
西洋諸国との貿易などでは新暦が使用されていましたが、一般庶民の間では旧暦が依然として幅を利かしていたようです。
そして、都会から次第に新暦が浸透し、盆や正月を、新暦で行うところと、旧暦で行うところが出てきてわけです。
私も、幼い頃には、生まれ育った家では新暦で、父母の実家では旧暦で、つまり、一年で2回正月を祝った経験が有ります。
新暦が殆どの地域で使用されるようになったのは、高度経済成長期に入り、日本人全ての生活水準が上がり、電化製品など都市部と山間地域の差がなくなってからです。
つまり、ごく最近の事だと言うことです。
このように今では、殆どの年中行事が新暦で行われていますが、新暦ではピンとこないことも多く存在します。
だから、年中行事は今でも旧暦の視点で行えば、その本来の意味や、その行事に込められた先人の思いがヒシヒシと伝わってきます。
今年は、なにもかも、コマーシャルリズムに乗せられるのではなく、正しい視点で、四季の美しい日本ならではの一年を味わいませんか。
旧暦には、人と人との絆を深め、心豊かな生活を謳歌するヒントが沢山詰まっています。