論文を書くときは深く考えることが求められます

井上博文

井上博文

テーマ:実は難しい研究計画作成方法

近年、大学院入試で小論文を課されることはほとんどなくなりました。その分、研究計画や志望理由書などの書類が重視されるようになりました。最近は医療看護系の入試で小論文が重視されていると考えられます。小論文をテストに出す学校の考え方は様々ありますので、一概には言えませんが、たいていの学校は真剣に読みます。小論文をかなり重視すると言う学校もあります。
それでは、小論文を受験者に書かせて何が見たいのか、という問題が生じますが、以下に大きく3つのポイントを指摘しておきます。このポイントは、単にテクニックというよりも書き手の考え方によって左右されるものですので、書き手の根本が問われるポイントとも言えます。

①読解力
これは課題文形式の時が多いのですが、正確に文章を読む能力があるか、自分の都合の良いように読まないか、歪曲して資料を読まないか、こういったところが見られます。これは、どちらかというと、書く能力よりも読む能力が問われているということです。文章は読めない人は書けないという考え方です。嘘をついて他人を誹謗中傷する人は論外です。
②表を読む能力
これも課題文形式の時に多いのですが、何らかの形で表が出されます。以前あった、大阪都構想の住民投票の結果は、調査会社からすると、珠玉のデータです。あの結果から読み取れる事実はたくさんあります。中には統計的分析をかけている評論家もいますし、とりあえず数字が物語る事実にのみ注目している人もいます。あのデータは、まだまだ味の出るデータです。また最近では自殺者が22000人くらいまで「減少」したという数字もあります。少し前まで3万人を超えていたので、それからすると減少ですが、冷静にみて22000人は異様とも言えます。このような数字のとらえ方も重要です。
③事実をまとめる能力
小論文は、簡単に言うと、一定の事実を証拠をつけて読み手に伝えることです。書き方に様々あれども、この部分は揺らぎません。そのために必要なエッセンスがたくさんあって、一般に小論文教材や小論文の授業などは、その部分をクローズアップします。何かしらの事象に注目して、それを例えば、教育の面、福祉の面、医療の面、総合面など多様な角度からその面に光を当てる練習をするのが、最も良い練習になると思います。そこにはたくさんの事実が宿っています。その事実を丁寧に引き出してまとめる能力は、小論文には必須です。できれば、弱者の観点から見た事実なども大切です。そうすると、児童相談所の数と、虐待の数を見て、何かを変えねばならないという考え方を持つこともあろうかと思います。でも一方で、高齢者福祉のサービスが低下するという不安をもった人が多かったことも事実です。様々な事実を突きつけてみて、その上で自分の考え方を書けるようになれば、たいていの小論文は怖くありません。
これらを前提として、さらに深く考える能力が必須になります。


深さとは?


よく「深い」というフレーズを聞きますが、たいていの場合、ポジティブな意味で使われます。対義は「浅い」で多くの場合ネガティブな印象を与えます。以前、何かのマンガで読んだセリフに「人生は長さではありません。深さです」といったものがありましたが、良いことを言うなあと感心した記憶があります。どうも「深さ」という言葉にはそれこそ深みがあって、簡単な言葉ではありません。私の好きな教材に「ディープな東大」シリーズがありますが、東大の入試問題は本当にディープで素晴らしいものが多く、私たちも勉強になります。
大学院や編入受験をするにあたって、私たちはやはり自分の言葉に深みをもたらす努力は必要だと思います。それではどうすれば良いのでしょうか?

深さとは疑問→気づき→さらなる疑問の連鎖

もちろん、様々な方法があると思うのですが、基本的なところで言えば、やはり疑問の連鎖だと思います。その場合、まずは身近なものへの観察が入り口になります。その時の観察対象が興味のあるものになります。人間なのか、機械なのか、動物なのか、文字なのか。例えば、कोमुनितसुはデーヴァナーガリーという文字ですがこれを見て、何と書いてあるのだろうと疑問を持てる人は一歩深入り出来ます。ここで心が折れると次には行けません。ここでとりあえず発音を調べてみて、じゃあどんな意味だろう、と考えてみたり、あるいは、「ん?何か(カレー屋さんで)見たことがあるかも」と経験値の中から、類似のものを探し、比較し、例えば「梵字」に気づき、「どうも近いぞ」ということに気づき、そして「じゃあ両者はどんな関係があるのか」と新たな疑問に行き着き、そうすると、「じゃあ、なんで我々日本人がこんな文字を見たことがある?」と考え、見たことがあるお寺に行ったら、どうもいつも空海という人が絡んでいるらしいということに気づきます。「じゃあ空海はいつ、どうやってこの梵字と絡んで、どうやってこの国に広めていったのか」と今度は歴史の話に興味が湧いてきます。

一方で、「でも梵字とデーヴァナーガリーは完全に同じではない」ということにも気づきます。「じゃあ、この国に最初にデーヴァナーガリーが入ってきたのは、誰が、いつ持ち込んだのか」
とまた違う観点の疑問が発生します。調べてみると、現代人の研究者が、西欧に留学して、西洋的仏教学を輸入したという情報が入ります。そうすると、そうすると、・・・といった具合にキリがなくなるのですが、朝から晩まで、このキリのない連鎖を繰り広げていると、気づけば世界が広がっています。大学や大学院はこういった「思索」に時間をかけられる幸せな空間ですが、こうして、世界を広げる経験は、是非ともしておくべきなのだと思います。広げられるだけ広げて、頭の中に「深い容器」を作ることで、さらに良い連鎖を作ることができると考えられます。
ただし、これには時間がかかります。また、行動力も必要です。疑問に思って、すぐに調べることがないと、なかなか次には行けません。しかし、一度広がった世界は小さくはなりませんから深さが理解できるまで、この作業をしていく価値は十分にあります。

小論文の書き方と思考

看護系を受験する人には小論文は必須と言っても過言ではありません。臨床心理士資格試験にも通常は小論文があります。指定大学院の奈良大学にも小論文が課されることがあります。今年もここまでのところ、かなりの数を添削してきました。私の考えとしては、小論文は単なる添削をするのではなく、完成とこちらが言えるまで育てていく事が重要です。データを集めてきて、差し込んだり、過去の研究を見たりすることは基本的な作業ですので、小論文とはいえ、それなりに本格的に作業を進めていく必要があります。小論文が書けないと言う(思う)人は結構たくさんいます。書けないパターンはいくつもありますので、実は小論文指導というのは、授業で漠然と、一般論だけを説明し、あとは「添削」して、「書けていない」ことだけを指摘するというのは、指導者としては不適切です。書けない人は、「意見を述べなさい」と言われると、「何を言えば良いかわからない」という連鎖が生じ、これに拘束される傾向が強いと言えます。

自分の意見

それでは自分の意見とは何でしょうか。とりあえず思いつくことでは決してありません。意見とはすなわち自分の中に根付いている考え方から導き出されるもので、同じ意見を言っているように見えても考え方が根本的に違う場合もありますので、他人に示すべきは、その考え方になります。考え方が見えれば、その人の人生観も見えますし、何を拠り所としているかも見えます。この考え方の拠り所を構築することは、今後の人生にとっても非常に重要なことですので、明確でないならば、早いうちに自分なりの考え方の拠り所と、思考順路を作っておくと非常に効果的です。例えば、医学系小論文でよく問われる「臓器移植問題」がありますが、これも臓器移植賛成か反対の立場よりも、なぜ賛成(反対)であるか、その根拠となる考え方を示すことが優先されます。極論言うと、賛成か反対かは大した問題ではありません。なぜなら賛成か反対かは、ある日突然裏返ることがあるからです。典型的なのが原子力発電です。福島の大災害以降、それまで原発推進派だった人が、反対に転じた例はたくさんあります。それは賛成か反対かが問題なのではなく、その人の考え方に沿うか抵触するかによって決まることになります。意見を決める自分の考え方を公に出せるようにしましょう。

何だかんだで情報収集が基本

小論文が書けない人は、情報収集ができていないケースが多いと言えます。近年は、情報過多の時代で何から、どこからどんな情報を摂取すればよいのかの判断からして困ります。しかし、それでもテレビや新聞はもはや情報摂取媒体としてはあまり説得力を感じません。テレビは元々お話になりませんが、最近は新聞もかなり怪しいですので、新聞を安易に鵜呑みにするのは避けた方がよいでしょう。小論文や論文を書くときは、見渡せる限りの現状を見渡して、可能な限りの事実を並べて、その上で自分の主張を考えることが必要です。重要なことは、どんな情報であっても決して鵜呑みにせず、全否定もせず、批判的な姿勢で情報を摂取しそれを自分なりに駆使し、自分の考え方を作ることです。

情報があっても小論文が書けるとは限らない

小論文が得意な人というのは滅多にいません。やっかいなのは、なぜ苦手なのかがわからないということと、どうすればうまく書けるのかという方法論がわからないということです。個人的には、うまく書くというよりも、読み手をイメージして、この人を説得してみようと思って、頭の中で議論をしながら書くというイメージを持っていますが、そのイメージは人それぞれで良いと思います。小論文が書けない人は、テーマを与えられると、まず自分の頭だけで考えようとする傾向が強いようです。例えば出生前診断について書きなさいと言われると、いきなり書こうとします。しかし、それはどんな達人でも無理ですし、プロであれば、必ず何かしら手元に情報を並べてから書くでしょう。(テスト本番ではその練習成果を出すと考えてください)情報が多ければ多いほど論文はうまく書けると考えましょう。だからまず情報収集と、収集した情報を提供するといった意識が必要になります。文章を書く練習は、あまり必要だとは思いません。普通の日本語力、つまり、主語と述語を合わせることさえできれば、あとはそれほど特殊な日本語力は不要です。情報収集は、小論文の入試対策であれば、とりあえずはインターネットから入ることになると思います。私たちの世代は、インターネットを使うことなどあり得ませんでしたが、今は、足がかりを作るにはやはりインターネットは便利ですし、明らかに自宅の本棚よりも情報は豊富です。しかし、最近の大学生にありがちな検索して引っかかった最初のページか、ウィキペディアに全てを託すのはやめましょう。書けない人は、こういったところからコピペをする人であることは、あちらこちらで指摘されています。参考にしたいページは、省庁のページ、意外に有用なのが政治家のページ、大学教授のページなどは有効です。もちろんウィキペディアも用語検索、人名検索では威力を発揮しますので、使用するのは悪いことではありません。
小論文が書けないという人の中に多いのは、そもそも「書いたことがない」という人です。そういった人は、「とりあえず書いてみましょう」と言っています。とりあえず書いてみて、何が原因で書けないのかということを考えてもらう必要があるのです。小論文に限ったことではないかもしれませんが、原因を特定しない限り、進歩はしにくいでしょう。

適切な指導を受けましょう

いつも言いますが、私たちは変な教育を受けてきていますので、合理的と言えば、「最小労働力」であったり、あるいは逆にふれて「結果にこだわらない」ことをあたかも教育であるかのように言ってみたりと、おかしなことだらけになっています。だから、原因を特定するという発想が抜け落ちてしまっている人が非常に多いということを感じざるを得ません。
また、例えば英語の場合、英語ができない要因を単語だけに求める人が多いのですが、決してそれだけではないはずです。だから、私は授業中も、生徒が英語の読みに詰まったときには、必ず「今は関係代名詞がとれていない」「分詞構文を無視した」などと、原因を特定して、そのトピックを生徒が理解しているかどうかをチェックします。生徒も何度も同じことを指摘されると自分が何が苦手か、何故それが苦手か、どうすればできるようになるかと「疑問の連鎖」で「深く」考えざるを得なくなります。そこまでなればあとは自分でだいたいのことはできるようになっていきます。小論文も同様です。やはり原因を特定する必要があります。原因として多いのは、①情報(データ)不足②構成力の欠如(問い、回答、証拠のセットの欠如)③質問に答えられていない④論点が多すぎる(2個以上ある)このようなものが大半なのですが、これは、私の印象としては、自分で勝手にできるようになるものではないのではないかと思います。大学院に入り、将来論文書きになることを決意したならば、たくさん書くうちにできるようになることもあるでしょうが、それでも一定の指導は受けるでしょう。ましてや受験の段階ではほとんど、小論文のまともな指導など受けたことがない人が大半です。その意味では非常に難しい試験と言えるのです。

「具体的」はとても重要なこと

指導を受けると必ず生じることが、抽象的な言葉を使ってはならないということです。具体的にするという習慣が身についていないと、事実関係を述べるのが苦手ということにつながってしまいます。ここまで述べてきた情報収集も事実を述べるために必要だからです。例えば、今プロ野球で、AチームとBチームの試合について、質問を受けたと仮定します。例えば、回答が「良い試合だったよ」だけだった場合、何の情報提供にもなっていません。伝わってくるものが何もないからです。
次に「Aが勝ったよ」だけでも話はつながらないでしょう。せめて「Aが3対0で勝ったよ」なら相手も質問しやすくなります。「完封勝ち?、Aのピッチャーがよかったの?」あるいは「Bのバッターが調子悪かったの?」とつながります。例えば、Aに150キロ以上出す注目のピッチャーがいたとしましょう。そのピッチャーはやはり評判通りだったのか、それとも先を見越して温存したのか、たくさん疑問が出てきます。言い出すとキリがないので、ここで止めますが、一つでも具体的な情報が伝わると、次々と疑問が連なり、繰り返しですが、この疑問の連鎖こそが、「深さ」につながるのです。日常から具体的に話題を展開する習慣がみについていないと、深い話ができないということにつながってしまいます。上記(長いですが)を踏まえて、具体性かつ深さを意識するための疑問を連鎖させられるようになれば、小論文は誰でも書けるようになります


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井上博文(塾講師)

株式会社コムニタス

塾長以下、スタッフが、全ての生徒の状態を正確に把握している。生徒をよく観察し、成長度合、どのような不安や悩みを抱えているか、をしっかりと観察し、スタッフ間で情報共有をしている。

井上博文プロは京都新聞が厳正なる審査をした登録専門家です

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