京都コムニタスの合格実績
京都コムニタスでは、独自の授業として必修の授業があります。前回の続きでしばらく、この必修で実施していることの詳細を述べていきたいと思います。かなり長くなりますが、それだけ大学院受験のエッセンスを情報化して詰め込んだ内容になっています。この授業を受けると、合格率が上がるのは当然ですが、むしろ大学院に入ってから、どのように生活をしていけばいいのかがわかる設計になっています。当然のこととして、大学院の先生は、それぞれの受験生が「入ってからどう伸びるのか」が知りたいのです。逆から言えば、今、一流のカウンセラーであっても、その人が大学院に入って、伸びる見込みがないのであるならば、合格はかなり厳しくなるということです。
その意味で、必修では、「大学院入って伸びる人」を作ることを目的としています。この受験で、合格できる人は二種類です。①今できる人②これからできるようになる人です。心理系大学院の場合、主に求められるのは②の方です。そのためには、「適性」が必要になります。臨床心理士指定大学院、公認心理師養成大学院の場合、適性は、「対人職者としての適性」になります。この適性は、少し時間をかければ磨きあげることができます。そのため、必修の授業では、適性磨きから始めることとしています。
まずは前提からー適性は面接で見られる
私たちが手がける受験では多くの場合、面接を重視しています。面接を重視しない学校はごく稀にしかありません。特に臨床心理士指定大学院は適性を見ています。公認心理師にいたっては、法律43条に「資質向上」が「責務」になっています。見方は大きく分けて三種類あります。臨床心理士に向いている人、向いている可能性がある人、向いていない人です。
臨床心理士指定大学院入試において、面接で、対人職としての適性が明確に問われています。学校によっては「実習に送ることができるかどうか」を基準に面接を見ているところもあります。面接でアピールすべき点は「なぜ自分が臨床心理士や公認心理師にむいていると言えるのか」この点は大事にしておきたいところです。これは生まれ持った資質を問うているのではなく、どのような人生を歩んできて、その過程の中でなぜ臨床心理士に出会い、そしてわざわざなぜ臨床心理士という仕事を選ばねばならなかったのかに始まり、どういった経緯から自分が臨床心理士に向いていると思ったのか、そして、事実向いていると言える根拠、その上で、その資質をどのように磨いてきたか。これらの問いには自分でいつでも答えられるようにしておきましょう。
面接では適性のない人の方が目立つ
大学院側としては、基本的には、向いている可能性がある人を採用する確率が一番高くなります。しかし、実際は短い面接時間で向いている人を見つけるのは至難です。
となると、「この人向いていないなぁ」と思われないことが優先です。
向いていない人の判断基準はいくつかあります。・他人の話が聞けない人・自分の問題が今解決できていない人・なんでも他人のせいにする人・他人に適正な関心を持てない人・自己中心的な人(なぜなら私が嫌だからなんて言えてしまう人)・判断基準が好きか嫌いである人・自分がラクになりたい人(嫌なことはしない人、「しんどい」を連発する人)・トラブルを回避できない(しない)人(なんなら作る人)(トラブルになることが明らかな発言、行為をする)。これらはすべて心理系に限ったことではなく、他学科でも、就職でも共通することです。複数当てはまる人は改善が必要でしょう。・他人の話を聞けない
とりわけバランス感覚が重要
京都コムニタスに来られる生徒さんの多くは、対人職を希望しています。対人職の適性として大切なことは、多くの大学の先生がおっしゃるように、バランス感覚と言えます。援助を求める人に対して適切な関心をいだけるかどうかです。興味を持ちすぎても、被援助者にしてみれば不快でしょうし、だからといって、興味を持たなさすぎても、不快になるでしょう。適度な関心を持てると、相手と程よい距離を保てます。近すぎもせず、遠すぎもしないといったところです。この距離感がわかることが重要な適性になります。
この距離感覚は、資質もあるかもしれませんが、どちらかというと訓練と経験で身につくものです。よく言う「空気を読む」というものと感覚的には似ていますが、明確な指標はなく、「こうすればOK」というものはありません。マニュアル型人間や、他人(上司)から言われたルーティンワークしかできない人には難しいかもしれません。常に相手を良く見て、相手の負担にならず、かつ利益になる距離をいつも考えておけることを意識しましょう。
私はよく大学に行き、先生方や事務方と話しますが、臨床心理士や公認心理師になるために相応しい人物像を伺ってみると、その考え方は先生によって多少異なりますが、概ね共通します。どの先生も共通しておっしゃられたのは「バランス感覚ある人」です。
私も必修の授業で、このバランス感覚についてよく述べていますが、私が主張するのは思考のバランスについてです。よく言うのは「大きな声じゃ言えないけど、小さな声じゃ聞こえない」とか、「必要なことを必要な分だけ過不足なく」です。大きすぎても、多すぎても、小さすぎても、少なすぎてもいけないということです。心理職の場合、スーパーヴァイズや、ケース報告会の時に、一つの技法に偏らずに、様々な視点が求められます。それをバランス感覚を養うために行うということです。臨床心理士や公認心理師におけるバランス感覚は、「過ぎない」ことだけではなく、まず「偏らない」ということと、それを身につけていくための訓練と度量が必要だということでもあります。例えば、相手から前と似たような話をされたときに「それ前聞いた!」と言ってしまえる人は、対人職に適性は低いと言えます。前聞いた話でも微妙に違うところを探すことが重要であり、なぜ同じ話をするのかという疑問を持ってきくことも大切です。忘れているのかもしれませんし、何度でも言いたいのかもしれません。前回言ったことを覚えていてあえて言うかもしれません。前の時が不完全燃焼だったかもしれません。またこちらも同じ話を再度聞くことで学ぶことがあるかもしれません。その意味では「前聞いた!」だけの人はいろいろなチャンスを逃していることになりますし、もちろん相手は不快です。この点については、あとからいくらでも磨けますので、訓練を積んでおくといいでしょう。
コミュニケーションスキルも適性です
コミュニケーションスキルも重要です。このスキルが低いとよくありません。コミュニケーションスキルとは、会話が上手かどうかということとは別問題です。
私が授業外指導で面接対策をするとき、「私は話が面白くないので困っている」とよく言われます。確かに、相手から笑顔を引き出せるとポジティブに働くことはあり得ますが、話が面白いかどうかはあまり重要ではありません。
面接におけるコミュニケーションスキルとは、情報提供力と言って良いでしょう。特に自分という抽象的なものを具体的な情報に変換して、他者が理解できるように伝達することが求められます。臨床心理士や公認心理師はクライエントの話をよく聞いて、必要情報を抽出し、そこから求められていることをくみ取り、クライエントに役立つ情報を提供できるスキルが必要です。
適性は考え方に現れ、考え方は感情に現れる
必修の授業では適性を磨くためには、感情のコントロールの重要性を説明します。私はREBTのインストラクターをしていますので、必修の授業の中にREBTを取り入れています。またREBTに関するトピックは、あらためてしっかり書きたいと考えていますが、REBTでは、不合理な信念(イラショナルビリーフ)が不健康な感情を生むため、合理的信念(ラショナルビリーフ)に変えると、感情も健康な感情に変わるというメカニズムを説きます。私はこれを必修の授業の中で局面ごとに言います。
その意味で適性は感情を見ればわかります。面接で不安が爆発する、怒る、号泣するなんてことがあると、一撃で不合格になることを覚悟しなければなりません。そのような感情の背後には、「絶対に失敗してはいけない」「ごんな学校落ちたら恥ずかしい」「何を言っても否定されそう」などなど無数にありますが、合理ならざる考え方が頭を席巻しています。そういった思考が妙な感情を作り、それが自爆に追い込むのです。そのため、合理的な思考を手に入れることで、適切な感情も手に入れられ、それを持っているだけで、十分適性を示すことができるという理屈を説きます。
補足
ここからは個人的な考えを補足します。私は、対人職の重要な適性の一つとして、「痛みの理解」が挙げています。痛みには様々な種類があります。身体的な痛み、心の痛み、スピリチュアルな痛みなどです。援助者が被援助者の痛みを共感的に理解することができるならば、お互いに非常に良好な信頼関係を結ぶことが可能です。ここで共感的というのは「自分事として捉える」と言っていいでしょう。
よく「他者の痛みがわかる」という言葉がありますが、これはいろいろな職業の適性を見る上で非常に重要なポイントになると思います。私たち教育に携わる者も例外ではありません。
「大人」であること
私は必修のこの適性トピックの中でいつも、「バランス」:「必要なことを必要な分だけ過不足なく」に加えて、「大人の三条件」を伝えています。大人とは何かを一言で言うのは難しいですが、次に三条件を持っていると、大人と言えます
世界一(この世で一番)嫌いな人が隣にいるとして、①追い出さない②距離を取るとか言って、自分が出て行かない③その人に助けてもらえるこれらができる人は大人です。これは日常の話であり、普段からそのように生活をしていないと③は無理です。こちらが嫌いなら、たいてい相手も嫌いですから、そこを理解した上で、助けてもらわねばなりません。勘違いしてはならないのは、「助けてあげる」ではないということです。助けるのは子どもでも、できることをすればいいだけのこともありますからできます。世界一嫌いな人に助けてもらえる人は、世界一嫌いな人を必要としていて、それが相手に理解してもらえなければ、相手は助けてくれません。世界一嫌いな人が、自分を助けざるを得ないような状況を普段から作れる人は間違いなく大人です。この意味の大人はあらゆる局面で適性を示すことができます。
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