どこから勉強すればいいですか?
5月以降、進路の悩みは深くなります
5月も半ばにくると、大学生の方々もそろそろ進路に悩む時期です。先日も相談を受けましたが、受験はしたいけれど、果たして自分に合格ができるか、大学院に入ってやっていけるのか、心理職になってやっていけるのか、就職活動と並行して勉強する余裕はないけれど、頑張り方がわからない、などなど、悩みは尽きません。公認心理師の新カリキュラムができて以来、特に大学生の方々は強いストレスを感じているという印象が強くなってきました。
大学院受験勉強は、大学院受験は不安と孤独と折れそうになる心との闘いというコラムでも書きましたが、孤独との闘いです。何せ、周囲は就職活動をしていると、私にも経験がありますが、「大学院に行くのは変わった人」という目で見られることが少なくありません。当時の私からすると、行きたいとも思っていない会社にリクルートスーツを着て、面接で嫌ごとを言われて、ヘコんで帰ってくる同級生を見ていて、「おまえらの方がよっぽど変わってるで」って言ったことがあります。でも大半は、そのシューカツをしているわけですから、こちら側はマイノリティになります。だからこそ、私は京都コムニタスを作るときに、そういった受験生の味方でありたいと思って作りました。
自分なりの精一杯の努力が重要
最近とある大学生から受験相談の流れである質問を受けました。
「先生、勉強せずに勉強ができるようになる方法を教えてください」
さらに
「先生、努力せずに合格できる大学院を教えてください」
残念ながらいずれもありません。英語でも何でもそうですが、かなりの努力をしないと身につきません。聞き流すだけで、英語が話せるようになるなどまずあり得ません。それは好きなだけ食べてやせるダイエットがあると言うようなものです。どんなことでも同じでしょうが、相応の努力とストレス(負荷)がないと身につくことはまずありません。練習をせずにアスリートが良い成績をあげることはないということは、誰にでも理解できると思いますし、アスリートでなくとも同じことです。
似たような質問もたくさんあります。
「●●だけしていれば合格できますか?」系統の質問を受けます。
「授業だけ受けていれば合格できますか?」
「この単語帳だけやっていれば完璧ですか」
こんな感じです。
その大学生は
「病気(病名は伏せます)になったので、頑張れませんし、医師から頑張らなくていいと言われています」
と言いますが、大事なことは漠然と頑張ることや努力をすることではありません。「工夫」することが最も大切です。師匠の受け売りですが心配をするな、工夫をせよは、私たちにとって普遍的に重要なことであろうと思います。工夫するのに努力も頑張りも必要なし、と思えれば、少し心が楽になります。私もそういう経験はたくさんしました。
工夫をすることが前提であるならば努力の度合いは、人それぞれでいいと思います。その分、身につく程度もそれぞれですし、「それでいい」と思えるならなお良しです。
メンタルスキルの技術を身につけましょう
結論は、実は誰でも同じで、
「正しい方法での自分なりに可能な限りの努力をして、頑張るべきは頑張って、工夫を積み重ねる」
なのです。となると、工夫は、自分のメンタルヘルスの保全にも向ける必要があります。しかし、大学生の多くは自分のメンタルヘルスのスキルを持っていないことがほとんどです。これはあまりよくありません。一方で、当塾ではメンタルヘルスに関係する研究計画を作ることを希望する人が増えています。研究計画作成に関わっていると、時代の流れが
よくわかります。やはり、メンタルヘルス系の研究がしたいという人は、会社勤めの経験があり、そこでメンタルヘルス不調に陥った人を見て、何とかしたいと思ったことをきっかけに持つ人が大半です。もしかすると、大学生にとっては、メンタルヘルスというのはイメージがわきにくいのかもしれません。
また一方で、大学生は安心、安全、安定という言葉を言います。確かに私たちには重要な言葉です。できるだけ安心できる社会に暮らしたいと思っています。しかし、どれも確実なものはなく、人為的な尽力によって、保たれるものです。安心は不安が解消されたら得られるとは限りません。また、常時安心をすることはほとんど不可能だと思います。以前、とある講習会で、「不安の反対は安心である」と言い切られたことがあり、強い違和感を感じました。もしそんな社会があったら危険なのではないかと思います。
REBTでは不安を提言すると安心するとは考えません。「懸念」とか「心配」くらいを妥当な感情と考えます。これはとても重要ですので、メンタルヘルスを考える若い方は是非知っておいて欲しいことです。
安心と不安は実は近い感情で、絶対的なものではなく、非常にあいまいなものです。その点を理解して、完璧な不安などなく、完璧な安心もないということを受容し、その上で、「ほどよい不安」と向き合って、「適度な安心感」を持つことを心がけておくとよいでしょう。
完璧主義はストレスフルです
「完璧主義者がストレス社会を生き延びるための3つの心得」という記事が面白いのですが、
こちら
実は自分が完璧主義者だと自覚している人はほとんどいません。口でそう言う人さえ少ないですが、仮に口で言っても、実際は自覚をしていない人が大半だと思います。また完璧主義者のメリット(ほとんどありませんが)、デメリットも考えたことがない人が大半だと思います。それでも、大学院進学や編入といった受験を扱うようになって以来、私の中で、この完璧主義者が目立つようになりました。正確には、「不完全であることが不安な人」とも言うべき人です。もちろんREBT的にはイラショナルビリーフです。できれば何とか処理しておきたいところです。しかし完璧主義の人に対して、「じゃあ、どうすればいい?」とは言えないものです。「自分で何とかしなければならない」と思い込んでいるケースが多いからです。ただ、事実としては、完璧主義の人はたいてい悩んでいます。完璧主義であることにではなく、漠然としたことにでも「できなかったらどうしよう」という不安を抱えているケースが多いと言えます。この記事で重要な打ち手は、完璧主義者へのアドバイスがあることです。よく、完璧主義をやめるようには言いますが、完璧主義のままの状態でアドバイスを贈るということは、ほとんどしてきたことはありません。3つの心得を引用させていただきますと、1. 少しずつやる。2. あきらめる。3. 心配ごとリストをつくる。以上の3つです。
「少しずつやる」「あきらめる」は矛盾しているようにも見えます。「少しずつやる」は、慣れることを意味しているようです。これは私たちで言えば、とりわけ学科の勉強に相当します。少しずつやることが、むしろ早道であるし、そうしているうちに慣れてきます。これには短期の実現可能な目標設定から始めるのが妥当でしょう。「あきらめる」はその延長線上にあります。何でもかんでもあきらめるのではなく、「どうにもならないことがある」「現時点では無理」「今はこの程度」という現実の受け止めでもあります。つまり、「できることをできる範囲でやり、できないこと、どうしようもないことは無理しない」ということです。当たり前と言ってしまえばそうですが、これは重要なことです。私は必修の授業の中で常にこれを伝えています。イラショナル的完璧主義者は、「できないことを完璧にやろうとし、できないと自分を責め、できることをしようとすると、自分が何ができるかわからない。そしてまた自分を責める」といった状態に陥ります。こうなると、なかなか自分では気づかないものです。可能な限り、「完璧でない自分を責めない」状態を目指したいところです。それには、最後の「リストを作る」というのは有効です。このリストは、自分が完璧でないことを教えてくれます。私も長いリストをいつも抱えています。全部完璧にこなしたいところですが、少しずつやりながら、無理なものは無理と割り切ることもたくさんあります。最善、ベストを尽くせれば、それでいい・・そう考えて日々を過ごしています。
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