「勉強したつもり」にならないようにしましょう
最近、受けた質問です。中学生の子どもさんを持つ親御さんからの相談で、塾に行かせているそうで、その塾の先生から、「子どもに勉強しろと言わないでください」と言われたそうです。でも、子どもさんは家で一向に勉強する気配がない。親としてはもう限界で、つい言いたくなる。
これぞThe 日本社会あるある、かと思います。私が子どものころから、何も変わっていない家庭の景色ではないでしょうか。違うところは、家で父親が寝そべってプロ野球中継を見ておらず、それが、スマホやゲームに変わっているというところでしょう。
とはいえ、「なぜ子どもに勉強しなさいと言ってはいけないのですか?」
この質問は、意外に斬新だなと思いました。
結論としては、私もその塾の先生の立場なら同様のことを言うと思います、と伝えました。同じような現象は、英語学習にもあります。よく言われるのは、海外に行けば、子どもでも英語を話せるようになる・・という言説があります。しかし、これは必ずしも事実とは言えません。例えばロシア人の英語力は、日本人とどっこいどっこいと言われます。ロシア語源を考えると、日本語よりは、英語に近いはずですが、英語力が高いとは言えない国です。
要するに、後天的に身につける英語力は、家庭環境プラス周囲の環境が大きいということです。まず家庭環境の中で英語を使える人がいない中で、その子どもだけが英語を身につけるのは至難です。これは英語以外の他言語を勉強するとすぐにわかることですが、周囲に誰もわかる人がいないと、諦めるか、頑張るかの二択になるのです。諦めるのは簡単ですが、「頑張る人」の気持ちになることに、一つの鍵があります。「なぜ頑張るか」が重要です。簡単に言えば、必要があると頑張れます。言い方を変えると、必要でなければ頑張れないのです。学校の成績という必要性であれば、点数を取ったら要件は満たされるので、それ以上になる確率は格段に下がります。だから学校の成績と本来の英語力が比例しないのです。逆に学校の成績はイマイチだったけれど、英語話者になった人もたくさんいます。
スウェーデンなど北欧でよくあるのは、家の中では親子はスウェーデン語を話しますが、外に出ると今はその親子が英語で会話をするという光景は珍しくないそうです。要するに親も英語に理解があり、その循環ができていると、バイリンガルを特別なことだと考えず、状況に合わせて、言語を使い分けるのが、当たり前という環境があれば、英語力は自然に上がります。今の日本では英語の必要性などどこにもありませんから、普通の家庭環境では、受験のツールに過ぎず、生活と英語とはほぼ無縁です。また、私たちの世代もそうですが、激しい「受験戦争」時代を生き、大学はそこから解放されるという「楽園思想」のもとに受験勉強を頑張った世代が、今親になっています。「受験英語」という特殊カテゴリーにこそニーズがあり、実用英語など1ミリの価値も持たなかった世代が今の親世代です。当分は、北欧のような状況には近づくことはないでしょう。
翻って、「なぜ子どもに勉強しなさいと言ってはいけないのですか?」という質問に戻りますが、これも親世代が考えなければならないことです。果たして、自分はどのようにして、受験勉強をしてきたかをまず考えるところから始めるのが妥当です。例えば、よくあるのですが、「苦手は今のうちに克服しておかないといけませんよね!」と言われますが、「苦手」ってなんやねん?から考える必要があります。多くの場合、親御さんは、「これこれこうすれば、点数が下がる」ということをよく知っています(事実かどうかは別)。しかし、実際のところ「これこれこうすれば何点稼げる」「これこれこうすれば、国語は8割は取れる」「これこれこうすれば世界史は2割点数が上がる」ということを言う親に出会ったことは、30年近くの経験の中で一度もありません。一度もです。「うちの子勉強しないんですよ~」は、私も無数に聞きました。これを数えきれる塾の先生はいないと思います。
漠然と「勉強しなさい」が意味をなさないことは多くの人が気付いています。実は「苦手を克服」もほとんど意味をなさないことにも気付く必要があります。もちろん、苦手を克服しなくていいと言っているのではありません。親が言うとすればの話ですが、「どうやればできなくなるか」ではなく「どうやればできるようになるか」が大切です。たいていの人はできるようになるとほっといても頑張ります。できないこと、ヘタなことを指摘されて、「○○だからできないんだ!」と指摘されて(しかも指摘した人もできるかどうか怪しい)、できるようになる人など、奇跡に近いと思います。スポーツの良いコーチはこのあたりをわかっているので、できるようになる方法を教えることが多いですが、もちろん、できないことを責めるコーチはダメコーチです。多くの場合、スポーツならこれを理解してもらえます。私も昔々スイミングのコーチをしていたことがありますが(私だけシニア向け)、沈んでいく人がいたら、どうやれば浮くかを口で言いつつ、実際にやってみて、かつ手を貸しながらできるまで付き添いました。でないと溺れます。じゃあ、あとは自分で・・なんて言っていたら、死人が出かねません。ある程度できるようになってきたら、そっと手を離す。もちろん、カナヅチのコーチはいません。親が子どもに水泳を教える時に、親がカナヅチだったら驚きますよね。勉強も同じことです。
意外とこれを指摘する人は少ないようです。是非、参考にしていただけたらと思います。
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