東日本大震災から11年

井上博文

井上博文

テーマ:雑感

昨年東日本大震災から10年というコラムを書きましたが、昨日のことのように内容を覚えています。月日のたつ早さに愕然としますが、社会状況は、大きく変わっています。あの時、2万人の命が一瞬で奪われました。その家族や関係者はさらに数倍の人の悲しみがあったと思います。あの時の悲しみを多くの人が記憶しているはずです。私が福島に行ったのは1年以上たってからでしたが、それでもまだまだ悲しみに包まれている様子だったことを記憶しています。新型コロナは天災と言うのかどうかはわかりませんが、世界中で見るならば、膨大な数の命が奪われました。古来、人間の刻んできた歴史には、天災、疫病、戦争は不可欠のものになっています。見方を変えれば、歴史は人工物ですから、人間が生き残ってきたプロセスでもあります。歴史ある限り、人間は絶滅しなかったことを意味しています。戦争は間違いなく人災ですが、つい、「天は何故、あのような異常者を世に送り出したのか?」「人々は何故あのような異常者を政治禍に選んでしまったのか?」こんな天災であるかのような疑問が湧いてきます。

どんな屁理屈を異常者たちが述べようとも、我々の平穏な日常生活を暴力で壊す者は強盗殺人犯です。天災は、私たちは膝を折らざるを得ません。むしろ天に対して、祈りを捧げて、許しを請うことが人間の歴史の標準です。法とは、本来、人智があろうとなかろうと世に存在する法則です。インド語では「ダルマ」などと言います。人工的に作ったのではなく、元々あるものに気付いた人が「目覚めた人=ブッダ」であり、ゴータマブッダ(いわゆるお釈迦様)は、ブッダの中でも希有なことに、目覚められない人に、目覚め方、気づき方をレクチャーして、インストラクションした人でした。当時は、そんな奇特な人は滅多にいなかったのです。それでも天災は起こるものだと受け入れざるを得ませんし、ブッダも自分の故国を戦争で失います。
古今東西、その意味で人間社会に存在してきた法は、人間が人間としての生きていくために、一定の拘束をかけるものです。仮に法の拘束がなければ、あたり一面プーチンだらけになると想像してみれば、背筋が凍るでしょう。こういう人間の命をガムのように捉えている異常者だらけになると、必ず人間も絶滅してしまいます。不幸にして異常者が権力を持つことが少なくないのは、歴史が語る通りです。しかし、法は異常者も拘束します。それが人間の絶滅を回避してきた一つの要因であろうと考えられます。今、人間は、一瞬で自ら絶滅することができます(アホなんでしょうね)。そんな兵器を作ったのも英知かもしれませんが、法に気付いたのも英知です。
世にあるすべての法は、「人は人を殺してはいけない」のです。異常者には法など通用しないと言う人もいるとは思いますが、私は必ずしもそうは思っていません。強盗殺人犯が法によって裁かれることを願います。


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