まずは日本語力を重視しましょう
昔から、幾度となく教師が聞かれてきた質問です。結論は明確ではありませんが、私は、「生きていくため」「生きていきやすくするため」と最近は答えています。社会に出ると、勉強をしておかなければならないことがたくさんあります。法律を読めなければ、知らないうちに犯罪をおかして逮捕されることもあるかもしれません。知らないではすまないこともあるのですが、でも誰も教えてくれないことの方が多いのです。その場合、自分で勉強をする能力を養っておかなければなりません。関心を持って勉強をしておかなければ、将来、自分が困ることもたくさんあります。年金などは典型と言えるでしょう。まったく知識がないまま、放置しておくと、気がつけば思想も覚悟もない無年金者となってしまっている人は少なからずいます。不勉強故の不利益などということは全く珍しいことではないのです。
まして、この国の人々の性質は、この記事がとても鋭く指摘してくれています。私はこの先生のコロナに関する見識を、ダイヤモンドプリンセス号の時から、とても信頼できると考えてきました。まともなことをまともに言ってくれる人は、今の日本ではほとんどいません。おかしいことをおかしいと言えない、正しいことを正しいと言えないのは、とてもおかしなことです。戦争の反省はここにこそなければなりません。
今、オリンピックの問題で、最もおかしいのは、こちらに書きましたが、「日本内外のメディア禍、政治禍、それにすがりついて甘い汁を吸うためには、一般人の犠牲などなんとも思わない異常者、エイリアンとプレデターとターミネーター」です。自分の会社をさらにさらにもうけさせるためにオリンピック開催を声高に言う異常者政商、オリンピックのスポンサーになっているメディア禍、政治禍たちが言う、一言で言えば「嘘」あるいは「裏のある正論もどき」です。
オリンピック開催に問題があるというよりは、オリンピックができるなら、緊急事態宣言など不要だろうから始まって、人流を止めろという同じ口が、世界中から人を招いて安全、安心と平気な顔で言える異常性に、多くの人は納得がいかないのです。
オリンピックを開けると言うなら、変な漫画家が言うようにインフルエンザより弱毒だと言うなら、緊急事態宣言などそもそも不要だったはずですし、潰れずにすんだ会社などたくさんあったでしょう。私は緊急事態宣言に一定の意味があると考えますが、関係がなかったのなら、緊急事態宣言自体が間違っていたことを政治禍は言った上で、オリンピックを開催すればいいでしょう。
それでも、感染拡大を防ぐことが大事だと考えた会社は、今もたくさんあり、営業を自粛している店もたくさんあるのです。オリンピックを開催して、異常者の元大臣が会長の人材派遣会社を儲けさせるために、営業を自粛しているわけではないのです。
こういった異常者の妄言にだまされないようにすることは、勉強をするとても大きな意味になります。
一方で、全く逆の見方もあります。知識は人生を豊かにするということです。知識が広がると視野が広がります。視野が広がると上から俯瞰するということがイメージできる
ようになります。全体像の話は、随分以前書きましたが、上から俯瞰できると、全体像が見渡せるようになり、見渡せるようになると、今自分がどこに立っているかがわかるようになってきます。自分がどこに立っているかがわかると、次に何をすれば良いかが見えるようになります。そうなると、できることとできないことが見えるようになり、できることしかできないことが理解できます。
その意味で、自分を磨くために知識を入れることに人生を費やしていくと、小さなことで不安になったり、腹がたつということもどんどん減っていき、どうでもいいことが増えていきます。そうなるとこだわりが減ってきて、必要なことを必要な分だけ過不足なくこなすという意味がわかるようになってきます。そうすると、バランス感覚が少しずつ身につくようになってくるのです。
このような循環を得るために勉強をするということは私自身の目的であり、目標でもあります。
東大生や京大生の大半は勉強することが好きだと答えるそうです。これは昔、大手予備校で講師をしている時に聞きました。確かに言われてみれば、そうかもしれないと思った記憶があります。
しかし、実際のところ、大学受験までの世代ににおいて、「勉強が好きだ」と言い切れる人は、それほど多くはありません。私もそうでした。だから、私たち予備校の講師は、親から
「うちの子は、どうやれば、勉強が好きになれますか?」
という質問をよく受けます。私も数え切れないくらい受けてきました。一般的には、まず「嫌いにさせない」ことが重要です。また、確たる考えなく、
「勉強しなさい」
「勉強しないと、いい大学に入れない」
「いい大学に入って、いいところに就職しなさい」
他にもたくさんありますが、私たちの世代から言い古された、ある意味ゴールデンフレーズを使うのは、もちろん不適切です。これほど抽象的かつ効力のない言葉も珍しいのではないかと思います。勉強しなさいといわれても「勉強って何?」「何のために?」と返されたら、返す言葉もない人が多いと思いますし、なぜ勉強しないといい大学に入れないのかもわかりませんし、いい大学が何かもわかりませんし、入ったらいい就職ができるのかと言われると、世間のニュースを見る限り、とてもそうとは思えません。
つまり、もうこのゴールデンフレーズはほぼ意味をなさなくなっており、これを聞いて、やる気を喚起させられる人は、ほとんどいないと言って良いと思います。しかし、だからと言って、
「大学なんて行っても意味がない」
「大学に行っても就職がないのだから、金をかけるだけ無駄」
「今時の大学なんて誰でも入れるから、勉強するだけ無駄」
と、逆にふれることも違うと思います。では、どうすれば良いのかと言われると、大変難しい問題ですが、「勉強そのものが意味があることで、人間の営みとして、知的好奇心を実は自然に持っており、実は誰から言われなくとも、人は誰でも学ぶことがもともと好きで、勝手に学習している生き物である」。
こういった前提を浸透させるところがスタートラインではないかと考えています。
最近はアクティブラーニングがはやっていて、多くの人がこれを肯定します。アクティブラーニングの基本は、授業を受ける側に興味を持ってもらうことです。どうやって興味を抱かせるかは、決まった法則はありません。私も大学で授業をしていると、少なくない人が寝ますが、そういうときは、あえて、彼らが興味のあることを言うと、頭が逆ドミノのように上がってくることがあります。では、どのようなことに興味を持つかというと、やはり自分に直結すると実感できるものです。わかりやすいところで、テストの話は効果的です。たまに自己開示をするのも良いようです。顔を上げている間に重要な内容を一気に言うこともよくあります。しかし、これでは、勉強好きになるかというと、そうではないように思えます。
「自分の興味・関心から広げさせて、勉強する意味を見出させる」
こういったことを言う人はたくさんいますが、これが最初からできれば、誰も苦労はしませんし、これを皆ができるなら、教育者の大半は不要になってしまいます。いくつになっても、自分が何に興味があって、その興味に対して具体的に何がしたくて、何ができるのか、ということは、そう簡単にわかることではありません。しかし、将来、どうなるのか、どうなりたいのか、というイメージを自分と周囲とで共有することで、目標ができます。目標を達成したことのある事柄は、たいていの人は好きになります。大学生になって、まったく勉強しなくなる人の要因の多くはこのあたりにあると考えられます。現状の大学生全般を見た場合、お世辞にも意欲的に学ぼうとする人が多いとは言えません。ただし、これは大学生だけの問題と見るべきではありません。私は、大学受験のあり方と、シューカツシステムのあり方に問題が多いことが、この問題の最大要因となっていると考えています。大学生の関心の多くが、入学時から、これから自分が何を勉強するかということよりも、2年以上先のシューカツにあります。この形を変える努力をしないと、何も変わらないと考えています。大学生の学力低下を言う人は数え切れないくらいいますが、この点を改善しようと言う人はあまりいないのが不思議でなりません。大学生に自分がこれから何を勉強するのかについて、多大な興味を持たせるのは周囲の義務だと思うのですが。
こういった問題もあって、一般の大学生の多くは、
「何もしなかった」
「大学受験が人生のピークでした」
「英語能力は4年間のブランクで低下しています」
「もっと勉強すればよかった」
こんなことを思いながら卒業していきます。そして、社会に出て、立場ができたり、役職ができたりしつつ、ある程度の年齢になると、「あの時もっと勉強しておけばよかった」という思いが膨らんでくると言う人が、たくさんおられます。私の経験では、勉強が嫌いだと言う人は、少なくとも大人になると、どんどん減ってきます。これは、私がこの仕事を始めて以来の一つの発見だと思っています。どうやら、現代において、人間が本来持っている知的好奇心を自覚するのは、ある程度の社会的経験を積んでからになるようです。30代から50代が、いつの時代も、社会で最も生産活動をする世代ですが、この世代が、「最も学びたい世代」でもあると言えます。京都コムニタスに来られる人の多くは、
「社会人として仕事をしているうちに、もっと理論を勉強する必要を感じた」
「大学生で学んでいるうちに、勉強することのおもしろさを知り、このまま卒業してしまうのはもったいないと思った」
「学部で学んでいるうちに、もっと深い世界があることを知り、大学院でその世界に触れてみたいと思うようになった」
こういった人が大半です。このような人は、勉強することを、「好きかどうか」では捉えていません。「好きだから」とか「嫌いだから」という理由で勉強をするか否かの判断をしていないと言えます。学んだことが、自分の血肉となる感触を経験的に知っており、それが自分にとってとても心地よいことであるという認識を持っている人だと言うこともできます。言い方を変えれば、大学生のうちから社会に出てみることは重要です。ボランティアでもアルバイトでも、研究活動でも何でもいいと思います。それによって、社会の厳しさやつらさを知るのと同時に、優しさも知ります。他人を思いやるとはどういったことであるかも知ります。他人の要望に応えてみることがどういったことであるかという経験を積むことができます。それによって自己中心的な考えから脱却できるようになってきます。こういった思考が育ってくると、自分の中の不足や、学問的方法や理論をたくさん学ぶ必要性を感じたりするようになってきます。そこで、何か心に響く人や書籍などに出会ったりすると、その人は、知らず知らずのうちに勉強好きになっていることでしょう。
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