社会構成主義(続)

井上博文

井上博文

テーマ:勉強方法

以前社会構成主義というコラムを書きました。
こちら
公認心理師試験でも問われるものですので、心理学にとっても重要ですが、社会というだけあって、社会学でも重要ですし、私のように宗教学や歴史学に携わる人間にとっても重要な言葉です。これだけ様々な分野に重なるということは、それだけこの社会構成主義という言葉は定義が明確ではないということを示します。
しかし、今年ほど社会構成主義という言葉が私の頭をよぎった年もないと思います。三密とか言いながらGOTO・・同じ口が堂々と正反対のことを言う。あるいは矛盾したことを言う。あるいは今の首相のように情報公開をしない民主党を批判していたはずなのに「説明を差し控える」「拒否」・・嘘、改ざん、「募ったが募集していない」などなど。そのうちに社会がそのようなものになっていっているように思えてきました。今年はコロナ禍とともにあった1年でしたが、コロナも言葉であって、何が正しいか、間違っているかよりも、玉石混交かどうかもわからない言葉がまき散らされた1年だったと思います。どちらかというと最低の石と最悪の石が混交しているイメージです。玉はどこへやら。社会とやらが何でできているのか、今年ほど考えさせられた年はそうはないと思います。

少し古くなってきましたが、この論文をずいぶん前に読んだ時に私には腑に落ちる点が多かったのですが、次の4つの特徴のいくつかを共有していれば、社会構成主義者とされるようです。

①自明の知識への批判的スタンス
②知識の歴史的・文化的特殊性の重視
③知識と社会過程の連関性の重視
④知識の社会的行為の重視

上記で共通するのは私たちの「知識」です。知識は言葉で理解するのが普通ですが、この8年、異様極まりない内閣がこの知識を彼らの異常な言葉で歪め尽くしてきました。私はカウンセリングもしていますが、クライエントが言う悩みに出てくる人のことを思えば、この異様な政治家(禍)の影響を受けた人が増えていることを実感させられます。そりゃ、つらいわな、と思わざるを得ない人が増えたと実感しています。

その意味ではこの記事は、まだこの国がおかしいものはおかしいと言える人が根絶やしになっておらず、かすかな希望があることを教えてくれます。一方で、異様な政治家(禍)の腐りきった言葉で社会が構成されていることに強い恐怖を感じます(絶望は感じません)。

あまりにもツッコミどころが多すぎると、皆が忘れるという「新型」を生み出したのが前首相です。もう忘れていましたが、今年の「日本モデル」。「日本ならではのやり方で、わずか1カ月半で流行をほぼ収束させることができた。日本モデルの力を示した」(産経ニュース5月25日)
のだそうです。「日本モデル」て・・・馬鹿馬鹿しすぎて、「皆があきれる言葉」という「新型」を恥ずかしげもなく連発するという新技で、私たちの思考までが毒を浴びすぎて麻痺してしまいました。先日の国会での118回の虚偽答弁に対する言い訳も、社会を壊す構成主義でした。民主党政権の時にはやった「ブーメラン」という言葉。今の総理大臣はブーメランを受け過ぎて、大変なことになっているはずですが、必殺技の改ざん、都合の悪い記述の消去と、これまでの社会では禁じ手と思われていたことを堂々とやれば、実は誰も止められないという最新型の荒技を思いついたのも前首相です。

前首相は、社会破壊という意味での社会構成主義者です。上の4つに当てはまってしまいますから。

「世界や人間の内部に一定の普遍的な特質の存在を想定する本質主義の否定と、それに代わる徹底した相対主義の姿勢が見られる。即ち、あらゆる知識は、歴史や文化が異なれば変化し、それは常に人々の社会生活を通してつくり直され続けるものであることが強調される。このような知識観・世界観の前提には、従来とは大きく異なる言語観がある。そして実は社会構成主義は、その新しい言語観なしには成立しない。」

これを私の常識と、前首相の常識とで読めば正反対の理解になることに最近気付きました。
「なぜこんな異常なことがまかり通るのだろう」ここ数年、何回この疑問にぶち当たったことでしょう。その都度、「社会の分断」を中心として、いろいろ考えてきましたが、それだけではなく、この変異種の社会破壊型構成主義者の発生が、社会とそれを構成する言葉を壊し、恐ろしいことに彼らが「保守」を名乗るのです。私には異常と矛盾にしか見えませんが、それを支持する人が3割程度いるのです。しかし、変異種が生み出した新型の民主主義みたいなものは、この3割を「多数」と強弁することに成功してしまいました。
さすがに「大阪市解体」「憲法改正」など実数が必要なものは、カラクリだけではどうにもならないので、どうにもなりませんでしたが、多くの物事は、このカラクリに絡め取られてしまいました。

今思えばこの論文の著者は次のように書いています。これも前首相のような人が読んで悪用と誤用をすると大変なことになります。

「例えば、今日私たちが「花」という言葉で指し示している対象に、他の言葉、例えば「メガネ」という言葉をあてはめても一向にかまわないのである。従ってまた、世界をよく観察することにより、世界の正確な説明や記述が可能になるとは考えない。このような考え方は、近代以降急速に発展し、私たちの生活や思考・行動を支えてきた合理的・客観的な科学的世界観とは対立するものであり、それは私たちを不安に陥れる可能性をもつ。」

はじめて読んだ時には「まぁ、そりゃそうやわね」でしたが、あらためて読むと、背筋が凍りました。故事成語の「馬鹿」そのものではないか。歴史に残る悪しき政治家趙高そのものではないか。私たちをすでに不安に陥れる政治禍が現在存在していることに恐怖を感じると同時に、自分も文字通り馬鹿になっていることにも恐怖を感じます。

今更ながら、私たちは大学院進学を手がける塾です。学問をとても大切に考えており、学術というスキルを生きることに役立てたいと強く考え、それが社会に何らかの役に立てることを願うものです。しかし、変異種の社会破壊型構成主義者は、大学にも浸透しつつあり、以前このコラム書いた大学も変異種の社会破壊型構成主義者に侵されつつあるようです。
この記事は、私たちに懸念や不安を超えて絶望を与えます。少なくとも大学だけは良識を持ち続けてほしいというのが、切なる願いです。学術会議の問題しかり、大学がおかしくなることについて、私たちも強い意識を持っています。先日、ある出版社の社長さんとお話しましたが、この社長も日本の大学の将来に憂いをもっています。
社会構成主義において、社会は変異種の社会破壊型構成主義者だけのものではありません。こういった変異種からまた社会を保守するのも、社会構成主義者です。私の師匠も学長ですが、「おかしいものは誰が見てもおかしい。正しいものは誰が見ても正しい。良いものは誰が見ても良い。悪いものは誰が見ても悪い」私はこれをまだ信じています。



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井上博文(塾講師)

株式会社コムニタス

塾長以下、スタッフが、全ての生徒の状態を正確に把握している。生徒をよく観察し、成長度合、どのような不安や悩みを抱えているか、をしっかりと観察し、スタッフ間で情報共有をしている。

井上博文プロは京都新聞が厳正なる審査をした登録専門家です

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