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井上博文

大学院・大学編入受験のプロ

井上博文(いのうえひろふみ) / 塾講師

株式会社コムニタス

コラム

平成が終わると見るか、令和が始まると見るか

2019年4月30日

テーマ:雑感

コラムカテゴリ:出産・子育て・教育

平成が本日をもっておわり、5月より令和と元号が変わります。だからどうしたという人もいるかもしれませんが、人間の寿命はたかが80年と少しくらいです。今、2つの大学で仏教の授業をしていますが、時代は紀元前2400年くらいから始まります。地域はインド、インダス文明の時代からがスタートです。そこから1000年くらいしてアーリヤ人がインドに侵入して、支配層になっていき、さらにそこから1000年ほどで仏教が生まれ、さらにそこから1000年で日本に仏教が届きます。そこからほぼ1500年がたって今に至ります。思えば気の遠くなるような年月です。インドの文献には「ガンジス川の砂の数」くらいというたとえがよく出てきますが、何せ生まれ変わりが当たり前の世界ですから、前世と今と来世の連続性が私たちの想像をはるかに凌駕します。しかし、少なくとも仏教をかじった私は、今世のみを生きたいと願いますので(来世もう一回同じことをしろといわれても無理です。一回限定だからこんなことができます)、この短い人生の中で、自分の生きた(生きることのできた)時代に思いを持つことは許されると思います。その意味で元号は、私にとってはあった方が良いと思うものです。平成の最初の10年くらいは、「今昭和(なら)何年かな?」という質問があちらこちらでありました。だから「昭和に25を足せば西暦になる」「平成は88を足せばいい」とかいった法則の計算式がありました。いつしか、そういったことをあまり言わなくなりましたが、大学で教えていると、平成生まれが、大学に入ってくると、「平成生まれがきた」とか、気づけば昭和生まれが大学からいなくなっていた、とか、なんだかんだと、昭和と平成について、自分と、年を重ねていく自分への自己憐憫も含めて、いろいろ考えてきたと思います。これは、今となっては日本特有の文化なのかなと思っています。
平成は30年と少しありました。おそらくテレビはこの平成時代に何があったのかを振り返っていると思います。年齢を重ねていかれる天皇、皇后両陛下のお姿を見ながら、自分の30年の人生を振り返る人も多かろうと思います。私個人は、子どもから大人、そして若手から中年になった30年でした。昭和の終わりは中学生でした。だから昭和の倍の年月を平成で生きたことになります。昨日のことのように、高校、大学、大学院と経て、京都コムニタスを作り、支え、支えられてきたという全部を経験した時代でした。私と同世代のスポーツ選手はほぼ現役を去りました。イチロー選手はある意味私たちの希望でしたが、ついに現役を去りました。中学や高校で習った先生は当時若手でしたが、もう多くが定年しています。私の師匠は私が大学生の時は若手でしたが、今は学長です。残念なことになくなってしまった先生も多くなってきました。近くを見ると、兄の頭の毛はなくなり、一緒に研究会をしている人が、自宅の場所を忘れたり、かつて勉強会に参加していた人たちと会うと決まって、「みんな先にいっちゃったね」の会話に切なくもなります。その他様々な諸行無常を感じざるを得ない日々になりつつあります。しかし、それも平成という30年を何とか生き抜いてくることができたからこそ持ち得る思いなのだと思います。できれば笑い飛ばしていきたいものです。令和の時代をすべて生きることができるかどうかはわかりませんが、素晴らしい時代だったと言える生き方をしていきたいと思っています。


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